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1/26/2006 BRAND'S以前にもちらりと触れたことがある気がしますが、BRAND'Sという名の濃縮チキンスープ。英語名は多分Essence of Chickenだそうな。栄養補助剤っていうんですか、滋養強壮剤とか精力剤とかとは違う感じです。日本では見たことも飲んだこともないタイプの飲み物ですが、こちらではごくごく一般的に販売されており、「まろやか味」とか「子供向け」とかまであります。おそらくは他にもブランドはあるのでしょうが、一番目に付くのが「BRAND'S」で、お歳暮のかご盛りでも大活躍、この濃縮チキンスープ単独セット(スープの小さな瓶がでっかいかごの中に何十個と並べられている)さえ売られている人気っぷりです。
どっかのウェブで、覚醒効果があるとかないとか書かれてましたが、真相不明。でも、飲むと確かにしゃっきりするようです。この前の年末年始のロングドライブも、運転手さんたちはこのBRAND'Sを飲んで乗り切ったと言っても過言ではないほどの効果です。
タイに来てから、実は飲んだことがありませんでした。ウワサじゃこのスープ、生臭いことこの上ないらしく、人々が顔をしかめながら飲んでる姿しか見たことがなかったので、かなり尻ごみしていました。
が、ここ数日気候の変化(一応タイにもあるのだよ)のせいか、なんとなく倦怠感があって、半ば強制的に飲まされることになりました。真空のフタを開けてみると、まさにチキンスープの生臭い香り。息を止めてぐいっとひと飲みすると、お口の中に広がるなんとも言えない味覚。あっという間に鼻にまで立ち込めて、水を飲んでも消えません。これがどれほどの効果があるっちゅうのか・・・
しかしその日は一日中なんとなくすっきりとしたような気が。リポDとかM-150とかの興奮効果とは違って、栄養取りました!的な気分。思い込みのせいかもしれないけど、滋養強壮剤の効果が切れたときみたいなぐったり感はありませんでした。
このBRAND'S(http://www.brandsworld.com.sg/cms.www/home.aspx。ってことはシンガポールのブランドなんか)のチキンスープ、70ccで50バーツ。小ビンは30バーツ。これが日本では、70ccビンがなんと400円(約130バーツ)と「誰がわざわざ買うん?」と思うほどの高額で販売されてるそうです。
・・・でも味がマズいのよ。「まろやか味」もさほど変わらない生臭さだったし、「子供向け」はそれに加わりジュース的甘みも混じって、さらにヘンな味になってるし。(すでに全部試した)
このBRAND'Sブランドでは健康サプリメントなどを販売しており、この濃縮チキンスープ以外にも「ツバメの巣」とかも販売しているようです。これは1瓶130バーツだったかと高額ですが、抜群の効き目なんだそうです。しかもゼリー状で食べやすいとか。サプリとか、栄養補助剤とかにほとんど頼らずに生きてきた私にとっては、あまり気をそそられることはないのですが、話題のネタには一度試してみたいところです。 1/24/2006 化け(犬)の皮が剥がれるここ10日ほど、膝から下の皮膚が異常なほどに乾燥していました。クリームを塗っても塗ってもいっこうに治る気配なし。時々部分的にめっちゃ痒くなったりもします。湯上りにベビーオイル+クリームも欠かさず塗っても効果はほとんどなし。この時期乾季とはいえ、他の部位は何ともないし、今までになったことのない乾燥っぷり。
ここ数日は、皮膚がしわしわ状態になってきて、一体どういうことか?まさか何か皮膚病?と、アトピーの気もない私はちょっと悩んでいました。すると連れが、「もしかして、カウンターペインのせい?」と。言われて記憶を辿ってみると、去る15日、足をマッサージしたんです。何を思ったか、慣れない(ちょっとだけ)ヒールのついたサンダルを10日ほど履き続けた結果、膝の裏が異常に凝ってしまい、それを揉み解してもらったのですが、これがよっぽど凝っていたのか、涙が出るほど痛い!痛いのをこらえてマッサージをしてもらった結果、凝りは治ったものの、その場で揉み返しがきて、びっこ引いて歩くはめに。さらに、前日の一日クーラー車で移動の余韻もあって、発熱にも襲われたのでした。特にマッサージ後の足に熱が溜まっているようでした。
それを見かねた連れが、鎮痛剤っつうんですか、塗り薬を足全体に塗ってくれました。日本では「バンテリン」を愛用していたのですが、効き目の強いタイの塗り薬「カウンターペイン」を塗ることに。スポーツ選手が一般的に使ってるものです。が、塗った瞬間からものすごい熱さが足を襲い、さらにのた打ち回るチョンプーちゃん。自分で自分が可哀相になったくらいでした。
思い起こせばその後からです。皮膚が熱さに負けてしまったんでしょうか。急激に日焼けをしたときのような状態になっていました。それでも、いずれ治ると思って、とりあえず頻繁にクリームを塗って凌いでいました。が、ついに今日、膝の辺りの皮が剥がれてきました。そう、日焼けの後皮が剥ける感じ。ぅえ~ん。湿布が貼れない敏感肌だってことを忘れてました。ぽろぽろと落ちてゆくチョンプーちゃんのお肌・・・負け犬ならぬ化け犬の皮が剥がれた瞬間でした。これで全部剥ければ、また一皮剥けた強力な化け犬になること間違いありません。
1/22/2006 義兄のご遺骨今朝も日曜日だというのに超早起きで、お寺にタンブン(徳を積む行為)に行ってきました。恒例の「ワン・プラ」(仏様にお参りする日。だいたい満月、半月、新月の日がそれに当たる。陰暦のお話)で、お寺にお布施・お供えをしに行くのです。
先日チャアムに赴き、故人である義兄の遺骨と収集していた仏像を持ち帰ってきましたが、今日は遺骨をお寺に持参し、義父と義祖母の眠るお墓に一緒に入れてあげる儀式(こういう儀式って何て言うんでしょう。知ってたら教えて下さい)をしました。お坊様4僧に拝んで頂き、お骨を仏塔の中に入れ、さらにお布施をして終了。簡素な、短時間の儀式でしたが、これで義兄も落ち着いたこととひと安心。
そして本日午後は、久々に何もスケジュールなし。昨年末頃から、土日も何かと用事があったり旅行に出たりして、なんとなく疲れがとれないままにずるずると過ごしていた感じ。さらに仕事も急激に忙しくなって、夢まで見る始末。特にここ数日は、M150とか濃縮チキンスープなんかのお世話になってる状態だったので、今日はめいっぱいだらだらしてみたい・・・のに、部屋の中で溜まった家事をあれこれとしてしまう自分。しかも久々の「昼下がりのビール」の誘惑には勝てず。まあ、外で他人様に気を遣って過ごすより、自宅でのんびりするだけでもリラックス効果はあるかな。 1/21/2006 鑢(やすり)がけ聴講生で行ってる技術学校(テクノ・スクール)では、最近ショップでの実習が始まりました。うちの工場でさえ「いつの時代の機械使ってんねん」とお客さんに陰口を叩かれてそうなんですが、学校にある実習用の設備機械は、「これ、動くんですか?」と思ってしまうくらいに古い!セカンドハンドどころか明らかにサードハンド以上で、中国や台湾製のものがずらり。もちろんマニュアルなんてとっくの昔にどこかで無くなっているため、先生方が手探りで修理なんかをしているようです。
そんな機械でも一応動いていて、この前まではそれらの機械を使って加工の作業を勉強していました。旋盤加工とか、研磨加工とか。機械の作動方法さえ分かればそれほど力も使わずにできるものです。
が、今月からは、鑢(やすり)がけの実習が始まりました。鑢を使って、金属片を削っていくのです。当日、聴講生の私は「見せていただくだけ」と思っていたのが、軍手を手渡され、作業机をあてがわれて「はい、どうぞ」。数名の生徒はマイ・鑢を購入していますが、ほとんどは未購入で、学校が保管してるお古を借りることに。これがまた、「いつからあるねん」という感じで、サビサビ、取っ手なしなどばっかり。金属片なんか削ったら、鑢の方が磨り減りそうな。
で、作業開始!40名ほどの殿方が、一瞬にして汗だくになってきました。私を含め女性は4名。私以外の3名は、いかにも運動神経なさそうな感じ(決してか弱そうなわけではなく)で、鑢で金属片を「撫でてる」感じ。運動不足気味の私、たまには!と思ってやり始めましたが、なんせ取っ手がない上に使い古されて、ごっつ錆びた鑢で、掛けても掛けても金属片はいっこうに削られていきません。うぇ~ん。殿方は、ライバル意識が働いてるのか、隣の学友に負けじと必死の形相。
2時間後、殿方はぼちぼち終了。女性陣、要領よく男子に手伝ってもらってやってるけど、やっぱり限界が。八角形に削るんですが、私まだ1面だけ・・・そして時間切れ。男性陣も皆さん息上がってました。
続きはまた来週ということでその日の実習は終了。はあ~明日あたり筋肉痛なんやろなあ、と思いつつ帰途に着きました。
そして昨日、腕が上がりませ~ん。腕から肩に掛けて、激痛・・・せっかくこの前マッサージでコリがほぐれたとこやのに、また泣かなあかんやん・・・しかも今日は痛み倍増・・・
会社の先輩に話すと、「今時鑢がけの実習?あほな~そんなん機械でちゅるちゅる~っとしてしもたらええのに~」と爆笑されました。まあいいよ、やること全部私には初めての経験やし、基本を知っとくっちゅう意味ではよい勉強になったし。しかし来週もまた続くんかと思うと、今からかなりブルーです。 1/19/2006 M-150タイにちょっと長いこといらした方はご存知でしょう、M-150(http://www.miyagi-net.org/m150/)。リポDとかみたいな、いわゆる滋養強壮剤で、RED BULLの名で世界的に知られる「クラティン・デーン」とか、フォークソンググループのカラバオのブランド、その名も「カラバオ」も及ばない程有名なM-150。現在市場シェアは40%に及び、お隣ラオスでもトップブランドだとか。それだから、テレビのCMも、いつも複数名のアイドルを起用し、「うっわ金掛けてんなあ~」的雰囲気がそこはかとなく漂っています。
特にタイ国内で行われる、キックボクシングとかボクシングの試合でも、タイのブランデー「リージェンシー」と並ぶスペシャル・スポンサーで、リングの周りは黄色地に赤で書かれた「M‐150」がそこらじゅうに貼られて(巻かれて)います。
で、今年は現国王ラーマ9世、プミポン国王様在位60周年にあたり、昨年後半からキングパワー社がキングプロジェクトに寄付するための募金を集める目的で売っていた国王様のリストバンドなんかがヒットしましたが、今年になってM‐150、国王様在位60周年祝賀のためと、様々な災害に見舞われた国民に対し、国王様のために立ち上がれ!みたいな意味を持つと思われる、壮大なテレビCMがかなり頻繁に流れています。
中心となるいつものアイドル(これも神がかり的に人気のある人ばかり!)4人に加え、オーケストラ、古典音楽(日本で言えば雅楽みたいなもんか)、ゴスペル、古典舞踊、ミスなんとか等など、あらゆる方面から、おそらくは何千人単位の有名人その他が集まり、大コラボが展開されます。もう、それを見ただけで鳥肌立ちまくり!作曲はどう考えても、4人のアイドルの1人がしたと思われます。そして曲が終わり、1段高いステージ上のアイドルが国王様のでっかいお写真にワイ(手を合わせて拝む)をすると、会場いっぱいの有名人やエキストラが一斉に国王様の写真を頭上に掲げるのです。
このCM、多分60秒とか90秒とか、へたしたらもっと長い感じ。さっすがです。M‐150、すげー金掛けてますな。国王様への称賛CMでちゃっちいもんは造れませんわな。それにしてもすごいCMです。日本では、ワールドカップでも、オリンピックでも、こんな感動的な、こんだけ人数集めて、こんだけ金掛けてる(金については日本のCMのほうが掛かってるかもな。その割にしょーもなかったりするけどさ)CMってないかもしれない、ってくらい。日本の皆さんにどうにかして見せてあげたいんですが。 1/16/2006 チャアム先週の土曜日、早朝にタンブン(お参りとお供えをして徳を積む)を済ませた後、チャアムに向かいました。数年前に亡くなった義兄の遺骨を受け取りに行くためです。チャアムで家族を持ちながらも若くして亡くなり、遺骨もそこにずっと放って置かれていたのですが、今回元妻の再婚を機に、こちらで引取ることになったのです。
四駆で高速を飛ばすこと約4時間、この前の北部の旅をまねて順を追ってみると、チョンブリー、チャチューンサオ、サムットプラカーン、バンコク、ナコンパトゥム、ラーチャブリー、ペッブリーと通過し、ペッブリー市内からさらに40キロでチャアムに到着。バンコクから南に下るにつれ、土が赤っぽく変わっていき、椰子の木が道路沿いに連なっていて、外に出ると日差しの強さが違う!まさに南国モードに突入です。若かりし頃(こんな言い回しを使うようになるなんて・・・涙)、バンコクからバスでホアヒンにプチ旅行した際に、なんとなく通過した記憶があります。ホアヒンもそうでしたが、ほんとにこじんまりとした海辺の町で、でもパタヤとかとは雰囲気が違ってるイメージでした。それが今や、ファラン(白人)が上半身裸でそこらを歩き回り、ちょっと洒落たお店なんかもビーチ沿いに立ち並び、2人乗り・3人乗り自転車に乗った子供がちょろちょろ走っている風景は、パタヤとはちょっと違うけど、とても賑やかな街になっていました。
海岸通りから狭い路地に入ると、昔ながらの街並みが現われます。旧式の家が、曲がりくねった道に沿って、南国のぎらぎらの日差しに照らされていました。行ったことないけど、なんとなく沖縄っぽいような。義兄の家はそんな路地の奥にありました。義兄のコレクションであった仏像の数々と、遺骨を取り出し、車に積むのにそれほど時間は掛かりませんでした。30分もすればすべて終了し、午後1時過ぎに昼食を取った後、とんぼ返り。夕5時頃には帰宅。ず~っとエアコンをガンガンにつけた車中で過ごし、お約束の発熱。一体何をしにチャアムに行ったんだか・・・今度はゆっくりと、ビーチでのんびり、一泊くらいしたいもんです。ホアヒンも、チャアムから30分も走れば着いてしまうくらい近いし。南の島まで行かなくても、バンコク近郊にして南国気分が味わえるので結構いい感じですよ。 1/15/2006 北方キャラバン 番外編年末年始の北の旅、考えてみればみるほど、いろんな意味ですごい旅したなあ、と改めて思う日々。というわけで、あくまで自己満足のためですが、おさらいをしてみようと思い立ちました。(ヒマやな)
まず、移動行程。一体何県を通過したか(かなり適当ですが)。そして移動に費やしたおおよその時間。
1日目(12月28日)チョンブリー→チャチューンサオ→サムットプラカーン→バンコク→パトゥムタニー→アユタヤ→アントーン→シンブリー→チャイナート→ナコンサワン→ターク(約6時間)
2日目(12月29日)ターク→ランパーン→ランプーン→チェンマイ→メーホンソン→チェンマイ(ドーイ・インタノンで宿泊)(約8時間)
3日目(12月30日)チェンマイ→メーホンソン(約4時間)
4日目(12月31日)メーホンソン県内をぐるぐる(移動は約5時間。なんせメーホンソン県は広い!)
5日目(1月1日)メーホンソン→チェンマイ→ランパーン→プレー→ウッタラディット→ピサヌローク→ピチット→ナコンサワン→ウタイターニー→チャイナート→シンブリー→アントーン→アユタヤ(約11時間)
6日目(1月2日)アユタヤ→パトゥムタニー→バンコク→サムットプラカーン→チャチューンサオ→チョンブリー(約4時間)
通過県数・・・東部→中部→北部と延べ34県
移動時間合計・・・約38時間
使ったガソリン・・・約250リットル(ディーゼルで、金額にして6000バーツ強)
走行距離・・・約2400キロ
気温差・・・摂氏30度から0度
標高差・・・海抜0メートルから2,565メートル(タイ最高峰)
同行者数・・・最大時でピックアップ9台、60人超。私の乗っていた車は大人4名、子供3名。
撮った写真・・・私、先輩、先輩の奥さん3台のデジカメで合計約500枚
曲がったカーブの数・・・数え切れず
飲んだお酒の本数・・・記憶不鮮明
今回の反省として、人数が多すぎる(60人!)、日程が長すぎる(5泊6日)、移動時間が多すぎる(38時間)のはやはり心身ともに疲労度が高いという結論が出ました。
なので、次回は、適度な人数で(10人程度)、適度な日程で(2泊3日くらい)、移動時間も少なく(合計10時間以内)、移動距離も少ない(500キロ以内)楽チンな旅を、とすでに計画中。
以上、旅のつれづれ報告でした。
1/8/2006 古式マッサージ年末年始のキャラバンの旅でかなりガタが来てた体にムチ打って、4日(水)から昨日7日(土)まで仕事、7日はオフィスの新年会で飲み狂って午前様(これじゃあSEKOと変わらんな。苦笑)。で、本日は昼まで寝続けて、午後に用事で外出したのですが、なんとまぶたに鈍痛が走り、目を開けるのが辛い状態に。もともとの肩凝り症に加え、長らくアロママッサージもしないでほったらかしにすること2ヶ月、というのもマッサージのお姉さんが、家庭の事情で北部の実家に帰ってしまった後どこでマッサージをしていいのか分からなかったのです。さらに年末年始の極寒・北方キャラバンの旅による疲れが取れないままに、連日PCと睨めっこしていた結果、肩→首→目→頭が凝りまくってしまったようです。連れのほうも、5泊6日キャラバンの旅でず~~っと運転、しかもその多くが山道激走だったため、体中がこわばっていたようで、とりあえず知り合いの古式マッサージを受けようと、急遽店に向かいました。
観光客相手のちんたらマッサージを1回受けたことがあるだけの私、アロマオイルも塗らずにコリを直撃する本格的古式マッサージは初めて。「軽くやってね」と念を押して、まずは腕と肩のコリをほぐすことに。
が、コリ過ぎているのか、彼女の力が強いのか、とにかく声も出ないほどの激痛!そして彼女が、「うっわすごい凝ってる!カチカチやで~。これ、全部揉みほぐすからね」と更にぐいぐいと押しまくる!歯を食いしばる私。肩の裏側なんて、今まで触ったこともなかったから、32年分のコリがたまってた(大袈裟)ことになります。涙がこぼれそうになるのをこらえ、マッサージのお姉ちゃんを蹴飛ばしたい気持ちも抑えてじっとしている時間は、果てしなく長く感じました。
そのうち、手足の指先までしびれてくるのが感じられ、徐々にコリも和らいできました。肩が軽くなり、まぶたの痛みもなくなって、目の前が明るくなってきた感じ。
と、左側が終わったと思ったら、次は右側。またあの激痛が・・・っていうか、もっと痛い!右利きの私はやはり右側のほうが凝っているわけです。そしてまた激痛に耐える!人間って本当に切羽詰ったら母国語が出るっていうの、納得できる気がしました。「痛い~!」って何度口から出そうになったか。
ようやく痛みも和らぎ、さらに体が軽くなって、やっとのことで終了。はあ~~ある意味疲れた・・・
その後マッサージを受けた連れも、相当にコリが溜まっていたようで、マッサージに慣れているはずなのに、顔をしかめまくりでした。
なんにせよ、助かりました。これで明日から仕事にも集中できそう(な気分)です。実は明日から新しい制服で出社。気分も新たに、仕事に精出します! 北方キャラバン(6)アユタヤの結婚式1月2日、連れに起こされるまで全く気が付きませんでした。すでに午前7時、3軒が同じ敷地内に邸宅を構える親戚一族は、すでに総出で料理の下ごしらえや会場設営の準備をしていました。そう、めっちゃタイ風に、ご自宅パーティのようです。我々はとりあえず水を浴びることに。いやあ、北部で何日も凍える思いで水を浴びてたことを思えば、アユタヤははるかに気温も高く、水は温かく感じられ、とってもすっきりしました!
その後ちょっとお手伝いをしてみたりしてるうちに、親戚衆がどんどんと集まってきて、いつものごとく朝から宴会。花嫁となる親戚の女性はなんとまだ18歳!新郎も20歳くらいの若者。やっぱり学歴とか、田舎の慣習とか関係してくるんだよなあ。
そのうちに新郎がご友人方と登場。田舎のちょっとスカした兄ちゃん風の彼、悪くはないけど、かなりな美人の新婦にはもったいない気もしたりして。前日の連絡では、お客様は約20名とのことで、テーブルは4つ用意されていました。ところが、新郎に続いて続々登場するご親戚、ご友人一同はどう見ても20名は超えてる・・・結局50名近いお客様で、もちろんテーブルは足りません。大急ぎで近所のお寺で追加分を借りてきて設営しました。お料理のほうはびっくりするほどたくさん用意していて、50名様でも余るほどでセーフ。
午前10時にはお坊様9僧による儀式が行なわれ、その後お客様一人ずつが新郎と新婦の手首にサーイシンという紐(聖糸で、魔除の意味もあるらしい)を結びつけてお祝い。この間、新郎と新婦はじぃ~っと座ってどんどん手首にサーイシンが巻かれていくのを待っているのですが、疲れるやろな~お腹空くやろな~化粧落ちるんちゃうか~などといらん心配。
我々は、お客様の席からは外れて「田舎の宴会」でしたが、ここに来て疲れが出てきたのか、チョンプーさんに眠気が襲い始めました。というわけで、車中でこっそり仮眠・・・と思ったら、2時間近く爆睡してしまいました。
そのうち先輩一家も義兄一家も帰宅準備を始め、午後2時半に親戚宅を離れることに。ここからは慣れた道で、この日はまた年末年始のUターンラッシュもなく、すいすいとシーラチャーに向かって車は進んで行きます。その間にも、「朝から宴会」でしこたま飲んでた先輩、ビールを買い込んで飲み続ける!本年から新法律施行で、ガソリンスタンド中のコンビになどではアルコール販売禁止となっていたため、事前に買い込んでいた模様。そこまでする先輩、すっごいわ~
午後5時ごろついに義母宅に無事帰還。荷物を降ろし、積み替えて自宅に戻ったのが6時過ぎ。もうヘトヘトでした。衣類の整理をしていたら、ものすごい数の洗濯物!見ただけで疲れ倍増です。翌日がもう1日休みでよかったわ~
義母宅到着時に確認した走行距離は2,400キロ!使用したガソリンは、およそ200リットルに登ることも判明。そしてちょうど30,000キロを超え、点検をすることになった先輩のピックアップ、ごくろうさんだったことよ。かなりガタきてるかもなあ。っていうか我々も相当ボロボロでした。・・・でも「今度の2月の連休、どこに行く?」って話、今からしてるし。でもテント張って、飯盒炊爨して、って楽しい!ワガママなお方がいなければもうちっとスムーズに旅が出来たのに、とちょっぴりムカついて、キャラバンの旅は終わったのでした。 北方キャラバン(5)山を下りる1月1日の朝は、はやり低温多湿、ものすごい露の中で迎えました。連日の結露に、テントさんもかわいそうなくらいに水気を含んで、重くなっていました。せっかくお正月やし、パーイから両親にニューイヤーコール。
パーイからチェンマイまでは大隊と同ルートなので、大隊について、途中温泉に立ち寄りました。日本の、九州のどこだったかにある地獄谷みたいなやつです。湯気が立ち上る川からは硫黄臭がかすかに漂い、所々で噴泉の柱が上がっています。うっわ~温泉卵食べたい~この前メーホンソンで入り損ねたスパも楽しみたい~と思いながら、時間の都合もあり、ここで更に北のドーイを目指す大隊と分かれて一路チェンマイへ。もともとこの年末年始はチェンマイ方面に来る予定で、友人やホストファミリーにも連絡しようと思っていたのですが、なんせ大キャラバンで次々移動する旅になってしまったために、結局連絡もしないままにタークもチェンマイも素通り。すまない、友よ。
せっかくチェンマイに来たんだし、今まで山ばっかりだったから、市内でお買い物でもどうよ、ということになり、傘で有名なボーサーンに立ち寄りました。なんかず~っと以前に観光したわなあ、と思いながら来たのですが、その変わり様には驚きました。1月中旬の行事に向けての準備もあったのですが、ストリート全体が店だらけ!しかも傘だけでなくチェンマイの名物である銀細工、木製インテリア、食べ物までが所狭しと並んでいるのです。しかもこの時期、観光客が全国、いや全世界からやってきていて、それはそれは賑やかでした。来たことのある傘工場もすっかりでかくなって、大型バス駐車場まで出来ていました。色とりどりの傘が飾られたバーも野外に設置されていました。お買い物に夢中な奥方を待ちながら、殿方はここで一杯、って感じなんですね。先輩一家もまさにその典型でした。この工場、工場というだけあって、お買い物エリアの奥で傘つくり。しかも実演までしていて、それぞれの祝人さんの手つきには目を奪われました。絵描き職人さんは、観光客の服やかばんに、あっという間に絵を描くサービスも。竜や仏像の絵を、ほんの数分で描き上げます。
工場を出て、先輩一家を待っている間に、どうしてもやりたいことが。チェンマイ名物のカオソーイという食べ物。日本で言ったらココナッツ入りカレーうどんみたいな。う~ん、なんか違うか。元はミャンマー(または国境の少数民族)のもので、名前もその地域の言葉からきてるとか。なんせ大好きなんです。留学時代は3食食べても飽きないくらいによく食べてました。ちなみに当時、1杯12バーツで食べられる店がありました(現在、通常は25バーツとか30バーツとか)。チェンマイに来たのにこれを食べないなんて!というわけで、懐かしのカオソーイ・ヌア(牛肉)をご注文。・・・しかし、不味かったんです・・・なんかショック。でも食べたという既成事実だけでも、と思って完食。なんかなあ。
その後チェンマイを出て、ランパーンのデンチャイで木製家具や最後のお土産を買い込み、長距離の旅に出たのが午後4時ごろだったか。プレー、ウッタラディット、ピサヌローク、ピチットを通過し、ナコンサワンのドライブインに到着したのが午後10時ごろ。連日の山中のラリーと違って平地を限りなく進む旅は、ある意味退屈で、疲労がたまっているドライバーは眠気との闘いになってきていたようで、ここで空腹を満たした後、仮眠を取ることに。乗客のほうはといえば、山道を走っていた時ほどの緊張感がないためにあまり疲れてもおらず、さらに車中で寝てきたこともあって、なんとな~く座って時間を潰しました。15分ほどの仮眠のはずが結局2時間にも及び、12時過ぎに再出発。この時点で残り100キロ強。ウタイターニー、チャイナート、シンブリー、アントーンと平坦な道を通過し、ついにアユタヤに着いたのが午前2時。乗客はすでに爆睡、私も耐え切れずにうつらうつら。アユタヤの親戚宅にやっとのことで到着したのが午前2時半にもなろうという頃でした。
今夜中に到着すると連絡していたものの、こんなに遅くなるとはこちらも親戚宅も予想外で、案の定親戚宅は真っ暗。犬が2匹吠えまくってくれたけど、誰も起きる気配もなし。というわけで、全員家の前に停めた車の中でご就寝。はあ~すごい長い一日でした。この日の走行距離、確か800キロくらいになっていたかと思います。ちなみに、ガソリンは満タン×5回、5000バーツ以上になっていました。 北方キャラバン(4)パーイでカウントダウン12月31日。朝起きてテントから出ると、小雨でも降っているような湿度で、周りは深い霧で覆われていました。あまりの高湿に、子供が外においておいた温度計もさよ~なら~
洞窟に来ておきながら洞窟を見ないのも何なので、朝は洞窟を覗きに。「魚洞窟」の名の通り、鯉ほどの大きさの黒光りした魚が、洞窟の中の水路に何百匹も所狭しと泳いでいました。祠にお参りして、魚にエサをやって(みかんも食べます!)、出発。
朝ミーティングによって、今日はメーホンソン周辺を見よう!ということになり、実は誰もまだいったことのない、首長カレン族の村に。郊外に抜け、どんどん田舎に車を走らせること小一時間、山の中の道なき道を9台の車が爆走。早朝ということもあり、対向車も比較的少なく、村に到着。なんか、彼らの自然な生活様式を観光モノとして扱い、珍しがって写真を撮ったりする行為って、なんとなくいい気分はしないものです。っていうか好きじゃないんですが、その一方で珍しいモノ見たさもやはりあるわけで、村全体が観光地化した村の中を散策。スカーフを織っている女性、ヤギを追いかける子供など。もともとカレン族にはキリスト教信者が多く、西洋からの伝道者もいたのでしょう、皆英語が堪能です。逆にタイ語はほとんど通じません。カレン語って見た感じ(文字)はミャンマー語見たいな感じがします。
ただ、村にはタイ語の学校が、タイ政府のタイ化政策の一環でしょう、建てられていました。ここで学習した若い世代はタイ語が話せます。ただ、村のあちこちに張られているポスターは、カレン語とタイ語の併記のものと、カレン語、ミャンマー語、英語併記のものがありました。
その後、さらに山の中をくねくね走り、タム・ロートという大きな洞窟に。ロートとは「くぐり抜ける」という意味なのですが、一体どんな洞窟かと思ったら、非常に大きな洞窟が複数連なっていて、中を流れる川を筏に乗ってくぐり抜けることが出来るのです。
我々も少人数のグループに分かれて洞窟巡りに参加しました。ランプを持ったガイドさんがグループ毎に付いてくれるのですが、ランプがないと中は真っ暗け(当たり前か)。竹の筏に乗って洞窟の中に入り、歩いて洞窟を見学しました。何千年もの月日をかけて出来上がった、いろいろな形の鍾乳洞、その規模は目を見張るものです。旧石器時代に描かれた動物の絵というのもありました。タイだけに、「ほんまかいな」と思わなくもないけれど、子供たちは大歓声。
日も傾き始めた頃に、パーイという街に移動することに。幅は広いがやはり曲がりくねりまくった山の中を、先頭車が爆走バカみたいな人だったために、ラリー状態で激走した末にパーイに到着。パーイは数年前に観光地開発が始まったばかりの小さな街なのですが、もともと麻薬関係で有名で、アヘンなどを求めてやってくる白人たちで溢れかえっていました。まるで山の中のパタヤ状態。西洋料理の店が並び、インターネットカフェも多数、西洋風の名前と佇まいのゲストハウスなどなど。物価高いんやろなあと思いつつ、中心地から少し外れた小高い丘の上のリゾートにあるキャンプ場に到着しました。が、ここでも例のお方がゴネ出しました。しびれを切らした我々、もうミーティングする気も起こらず、「好きにしぃ」とそれぞれのテント設営にかかりました。
ここも湿度は非常に高く、テントを張ったそばから露が。一体標高どれくらいなんだろう。軽く食事を済ませ、トランプゲームをしたり、お酒を飲みながらカウントダウン待ち。町の中心部のどこでやってるのか分からないけど、タイでは行事の際にお目にかかることが多い巨大提灯が、次々と上がり始めていました。ゆっくりと流れるように、いくつもの提灯が上がっていく様は、天の川を連想させます。リゾートの中のレストランでもパーティが開かれ、経営者が宿泊客(主に白人)らを招いて、カウントダウンを待っていました。
夜も更け、結露がひどくなってきた頃、アユタヤにいる連れの親戚から電話。あさっていとこの結婚式だから来てくれ、とな。なんでそんねん急やねんな。いとこ同士である電話の主も「俺も今知ったとこ」って・・・そんなもんなんかいな。というわけで、我々2台10名は、翌日にもアユタヤに向かうことにしたのでした。皆さんはさらに北のドイ(山)をいくつかハシゴする予定だったようですが、寒いのももう飽きてきたし、義兄一家は行ったことがあるというし、別の機会にということになりました。
そして11時55分頃。テントで仮眠を取っていた私はたたき起こされました。「カウントダウン!」イベント好きのタイ人、子供も大人もみんなで立ち上がり、手をつないで花火が上がるという方向に向かって吠えております。しかしよく考えたら、今までカウントダウンっちゅう行事に参加したことなかったなあ。まさか人生初のカウントダウン、タイで、しかもこんな山の中で迎えるとは。
新年が明けた瞬間、皆様の興奮は頂点に。吠える!飲む!クラッカーの嵐!アホか!実は、キャラバンの中で2名、1月1日生まれさんがいて、そのお祝いも兼ねてだそうです。いいねえ、こういう誕生日も。その後は、疲れも溜まってきていることもあり、さっさとご就寝となりました。
北方キャラバン(3)メーホンソンのカーブ山の朝は、早い(『世界ウルルン滞在記』風に)。12月30日。タイ最高峰のドーイ・インタノンから雲海を見るために、5時半起きです。昨晩あまりの寒さにシャワーも浴びず、すごい数の服を着込んで寝たのですが、そのままの格好で、洗顔と歯磨き。子供が外に置いていた温度計を見たら、3度!ジョージくん、君には普通かもしれない、いやむしろかなり暖かい部類なのかもしれんが、タイで3度は一大事です!しかも頂上まであと10キロの地点での気温で、頂上はここよりあと3~4度は低いと昨晩山の管理人みたいな人から聞きました・・・ってことは、氷点下やん!うっわ~~!この時点でかなりしり込み。日本にいた時でさえ冬はあまり好きとは言えず、ババシャツとかでしのいでたのが、防寒対策らしい対策を施さないままにこんな寒いところに放り出されてる私。歯磨きの水が冷たすぎて、歯周病かも、と思ってしまうほどに沁みるし、顔を洗ってるうちに手がしびれてきました。
そして6時前に頂上に向かいました。山の10キロは、平地の10キロに比べ時間がかかるわけですが、眠気と寒さに震えながらの10キロって、辛い(涙)タイの自動車って、ヒーターないのねん。だから、そのまま。普通のタイ人、「ヒーター」とか「暖房」って知りませんもん。そんな世界なのに、氷点下・・・
とにもかくにも、頂上直前の展望エリアに。(一応建物はあるが)風がヒューヒュー入ってくるトイレでの用足しも、それは痛いものでした。が、到着直後に空が赤味がかってきました。ほの明るい朝陽に照らされて、展望エリアの下方に広がる雲海。きれいです!幻想的。最初に「雲海」という言葉をタイ語から訳して反芻した時に、ついそば焼酎を思い浮かべた自分でしたが、いやこれは美しい。写真は撮ってきたけど、デジカメの調子もあまりよろしくなく、しかも撮影者のテクニックも最高とはいえないので、うまく伝わってないかもしれないけど、寒さも眠気も忘れるほどの景色でした。空がかなり明るんできた頃に、頂上へ。さっすが商売上手なタイ人商人、あったかいお粥とか飲み物とかがずらり。我々もお粥をすすって少しリラックス。タイ最高峰(海抜2,565メートル)で国立公園にもなってるだけあって、外国人観光客も。白人はすげーわ。半袖の方もいらっしゃる。北欧のほうからいらしたのか、これくらいの寒さは平気なんだな。
その後テントに戻り、軽く朝食を食べてテントを片付け、またキャラバンの旅に。次に目指すはメーホンソン県。今回の旅では、今まで足を踏み入れたことのない県を通過または宿泊場所に使用して、全部で何県くらいになるんだろ。
この日の移動ルートがまたすごかった!ドーイ・インタノンを下り、メージェム辺りで大小高低の山々を越えてメーホンソン県のクンユアムに下りて来たのですが、道は狭く、その割りに年末年始のキャラバンが多くて結構混雑、ピックアップ車とすれ違い、追い越し、追いかけて、運転者も、隣の先輩が朝から酔っ払ってしきりに話しかけるのも無視して、普段見られない集中力で運転しています。左右に振り回されまくって、初めはしゃいでいた子供たちも一斉に車酔い。我々もしっかり掴まってないと、上下左右に揺れまくる。でも、道々山の下方に見える雲海は、やはり美しいものでした。時間が経ち、少しずつ雲海が途切れていき、山の緑が雲の合間から見えてくる景色も、そのコントラストに見とれてしまいました。
数時間のラリー状態の末、メーホンソン市郊外の小さなスパ・リゾートに到着し、ちょうどお昼ご飯。さっきまで吐きまくってた子供たち、すごい食欲です。ご飯を食べながら、今日の午後は少し休憩もしたいし、ここのスパ・リゾートでテント張ろうという話に。少し硫黄臭はするけど温泉も湧いていて、ゆっくりお湯に浸かりたい!先輩一家は食事の後早速温泉体験に。
しかし、大人数でのキャラバン、やっぱりと思える問題が。「別のところに泊まろう」って言い出すお方が出現。我々は準備していたテントを片付け、温泉で「ババンババンバンバン♪」やってた先輩も急いで上がり、荷物をまとめて、メーホンソン市内に向かいました。ところが、市内には、例のお方のお気に召す宿泊場所がない。観光案内所に立ち寄ったり、市内を2週ほど回ってはみたけど、見つからない。ってか、宿泊所探すんだったら自分たちだけで行ったらいいのに、キャラバン全体で動くから、これまた大変。結局、再び郊外へ、山を少し登ったところにある洞窟タム・プラー(お魚洞窟)に接したキャンプ場でテントを張ることに。はあ~
ところで、メーホンソン市内の観光案内所に寄った際、最もカーブの多い県メーホンソンにより発行される「証明書」をゲットしました。なんと1,864カーブ。そのうちどれだけのカーブを通過してきたかは分からないけど、「最多カーブ県」にふさわしい道のりでした。
夕方暗くなり始めた頃にテントを張り始め、早速シャワー!前日に比べればずいぶん気温も高く20度くらいで、水シャワーでもかなり嬉しい。すっきりしたところで、再びみんなで飯盒炊爨。その後、今回のキャラバンで初めてミーティングが開催されました。明日の行き先についてです。メーホンソンに到着し、例のお方が協調の輪を乱仕掛けた頃から、9台の車は度々路肩に車を止め、その都度臨時ミーティングを開いていたのですが、それなら今話し合って決めてしまおう!ということになったようです。どこどこには行ったことがある、どこどこは遠すぎる、何箇所も一日で回るのは疲れる、などと男性陣がお酒片手に喧々囂々やってるのを遠めに見ながら、子供たちはトランプゲーム(子供でも賭けてます!違法なんだけど、皆知ってる)の輪を作り始めていました。・・・結局ミーティングは、タイ人らしく玉虫色の決着となり、明日に持ち越し。
この日の気温は午後9時ごろで15度くらいとさほど寒さは感じなかったのですが、ものすごい湿気!キャンプ場の芝生はびしょびしょ、テントの屋根には雨が降ったかのような雫が。それでも疲れていた我々は、熟睡しました。
1/3/2006 北方キャラバン(2)ドーイインタノンタークのガソスタで小休憩後、午前7時に出発、助手席の先輩はすでにビールを購入、我々は寝ぼけ眼のまま次の目的地へ。さらに北へ走り、ランパーン県のトゥーン郡、ランプーン県のリー郡をかすり、チェンマイ県ドーイタオ(北部の方言でドーイは山の意)を通って一路ドーイインタノンへ。タイで最も高い山です。標高2800メートル以上の山に、この時期に登るんですか~!日本の寒さなど知らないタイの娘どもが「日本ってこれくらい寒いの?これより寒いの?」としきりに聞いてきますが、だいたい日本人はド寒い時期に好んで外に出ません!ましてや、山の上に登ろうなんて、気がふれてるとも言える行為です。ドーイインタノンに登り、あと10キロで頂上いうところでキャンプ。テントを張って、ガスなんかも用意して、もちろんお酒も用意して、寒い夜に備えました。到着したのが午後4時過ぎだったかと思うのですが、この時点ですでに20度を切っていて、かなり涼しい感じでした。その後急いでシャワーを浴び(っていうか、水を出してみた、って感じ)、簡単なご飯を作ってみんなで食べているうちに暗闇がやってきて、気温もどんどん下がる下がる!タイの娘たちは「日本とどっちが寒い?」って聞くけど、ちゃうねん!日本だったらこんな薄っぺらいテントで寝ません!ヒーターとかストーブとかあります!防寒具も全然違うゆうねん!でもタイ人相手に野外で座ってウィスキーの氷割りなんかを飲んでるうちに、気温は下がる下がる!午後9時に10度を切り、さすがに耐え切れずにテント入り。先輩の息子は、どっかでもらった液晶温度計を外に置いて就寝。テントは2重とはいえ隙間だらけで、3重に服を着た上に2重に薄っぺらい毛布・・・こんなんでいいんですか~!連れと凍えながら就寝しましたが、冬眠するクマのごとく、あっという間に寝たのでした。 北方キャラバン(1)出発12月28日仕事納めの後、急いで帰宅、お腹ふさぎにちょっとご飯と食べて荷物を詰めて、午後9時には会社の先輩らと落ち合い、いざ北部の旅に出発。途中でさらに数台と合流、合計9台でチョンブリーを出発しました。そう、これから北部へキャラバンの旅に出るのです。チョンブリーからバンコクをかすってアユッタヤー、アントーン、シンブリー、チャイナート、ナコンサワンまで、と言いつつ私は爆睡。ドライバーは精力剤(!)を2種類も飲んで突っ走る!助手席の先輩はビールを次々に飲む!そしてナコンサワンで3台は別のルートへ、残り6台はカンペンペットを通過してターク方面へ続けて更に走る走る!そしてタークの大きなガソスタに到着したのが午前3時。ガソリンを足して、ドライバーは休憩。我々も休憩。車はまだそれほど多くもなく、比較的走りやすく、警察の検問もなく、500キロを走破したのでした。しかし、これからが今までに経験したことのないキャラバンの旅の始まりでした。 |
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