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2008/1/31 飲む・打つ・買う(飼う)メスイヌを飼っており、夜の喧嘩まで披露している歯ブラシ上司。最近出勤時間を30分遅くし始めました。夜張り切りすぎて起きるのが辛いそうです。 今までに見聞きしてきた、いろんなタイプの海外出向者。一応お仕事で来てたんですけど。
<飲む> 現在のアル中上司も、毎朝酒臭く、もともと回りのことに関心が薄く、特に朝は何を話してもまだ脳が始動していないようで、あまり話したくありません。 数年前の某出向者は、会社始まって以来のアル中者だったようです。ウィスキーを水の如くがぶ飲み、しかも1日1本軽く空けてしまう。記憶を失いつつも帰宅はするものの、玄関先で作業着のままご就寝。もちろん翌朝は起きられず。運転手も待ちぼうけ。平日なのに10時ごろになってやっとよろよろ起きてくることもあったそうです。
<打つ> タイでこれにはまった人は、少なくともうちの会社ではなかったみたいです。もちろんタイ人社員は、サッカー、ボクシング、闘鶏、宝くじなどなどで破産したり夜逃げしたりしてますが。
<買う・飼う> 1回しか会ったことのないカラオケの姉ちゃんに4万バーツの携帯を買い与えた方は、日本人含む外国人出向者がメスイヌにくれてやる金品の相場を一気に上げてしまいました。4万バーツの携帯は、翌日姉ちゃんから「失くしちゃったのォ~」(もちろん嘘。売って金にしたに決まってる!)と電話が来たために新しい携帯を再購入し、わざわざ店まで届けていました。 カラオケの姉ちゃんはスレてるからいやだと言って、デパートガールとかを現地語で口説けるほどに現地語が達者な方もいました。口説きテクに加え、他人には分からない魅力があるらしく、大抵一発で家に付いて来るのだと豪語していました。 パタヤのゲイにはまってしまい、仕草が完全に女性っぽくなってしまった方もいました。もともとは我々が居住するエリアのアパート住まいだったのに、後にパタヤに移動。もちろん目的は「飼う」こと。でも、ゲイを装った強盗に襲われる外国人も後を絶たず、周囲は気が気でなかったそうです。 それにしても、歯ブラシ上司ほど私生活をおおっぴらにする上司は今までおりませんでした。あんまりにも露骨で、敏感な方だったら顔をしかめ、「セクハラ発言!」と訴えたくなるような発言もしばしば。これを黙って聞いていられるチョンプーちゃん、ずい分忍耐力がついたもんです。
2008/1/28 上司達の金銭感覚イヌ(彼女)を飼ってる、と公言(?)してはばからない歯ブラシ上司。100本持ってきた歯ブラシも減りつつあるのでしょうが、8,000バーツの携帯を買い与えてたり、年末年始の飛行機でのチェンマイ旅行の代金を払うなど、つぎ込んでいます。「昨日喧嘩しちゃって、1時間半しか寝てない」と言ってみたり。そんな生活でいいのか?そして月末には、マジで「金欠病」。給料日前の1週間は、昼ごはんにカップラーメン食べてたり、そりゃあお歳暮の酒も抜き取って行くはずです。
アル中上司も月末に金欠病になります。理由はもちろんお酒のみ。自分でボトルを入れ、他人と一緒に飲み、最後には酩酊状態でいくら払ったかも記憶なし。ただ自分で払ってはいるようで、金はどんどん減っていく。ATMカードを使いこなせないため、タンス貯金なのですが、これがマズイ。給料日前は菓子パンとか食べてます。そして記憶力は確実に衰退しています。
ゴマスリ上司は、ガッツリ貯めるタイプ。プライベートゴルフも「接待ゴルフ」と称して会社の経費で落とします。社員への激励金もケチります(この点は、他の事に金を使いまくってる他の上司と同様ですが)。愛するご家族への電話は朝と晩に会社から。営業で出かけた際の交通費は漏れなく請求。海外出張の際に残った小銭も必ず持って帰り、バーツに両替しようとします。ただし、マレーシア・リンギットとか、インドネシア・ルピアとかで、しかも小銭で持って帰るために、タイでは両替してもらえないので、かなり悔しがっています。USドルに替えてから持って帰ればいいのに、と指摘しても、両替で取られる手数料がもったいないらしく、そのまま持って帰って来てしまいます。
2008/1/26 広辞苑編集部こんな記事を見つけました。
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東大名誉教授で国語項目を統括する山口明穂氏に、上野さんを含む3人の男性編集部員の計4人で行われた採用会議で、「キャバクラ」は、一度は採用する流れになった。しかし、試しに書いた原稿の内容が、〈若い女性が酒で接待するところ〉。
「だったらスナックだっていいじゃないか」「大体キャバレーとクラブの違いは何なのか」「クラブというからにはキャバクラは会員制なのか!」と、会議は大紛糾した。 「誰も行ったことはないのか」と山口教授に指摘され、一同「ごめんなさい、ありません」と頭をかいたが、「みんなで行ってみよう」とはならなかった。 そこで、百聞は一見にしかずと一番若い20代後半の編集部員が「そんなのお金くれれば僕が行きますよ!」と名乗りを上げたものの、「おまえに出す金はない!」と却下された。「そこまでして載せる項目か?」と冷静さを取り戻し、結局、採用は見送ることになったという。 ********************************************************************************
男性4人で大紛糾する姿・・・
しかもそれが記事(ネタ)になって、我々としては面白いけど、本人達の心中やいかに。
ちなみに、識者の見解はこうだそうです。
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上野さんは「キャバレーとクラブの違いは何なのか。両方の造語ということはわかりますが、じゃあ何が一緒で何が違うかわからないと載せる意味がない。少なくとも若い女性がいる所ということだけははっきりしているようですが、その若い女性の定義もよく分からない」と困惑気味だ。 ********************************************************************************
いろいろと考えさせられる記事でした。 2008/1/24 欠席だったけど親友の結婚式先述の会社の先輩の結婚式と同日に、実は北部ターク県での親友ヌットの結婚式にも招待されていました。大学時代のクラスメートで、ルームメートだったこともある彼女の結婚式は、新郎新婦、さらに両家の父親も公務員で、県知事とか元なんとか省次官とかが仲人になっている、お固そうな結婚式。遠方であるのと、会社の先輩の結婚式(での通訳業)と重なったために、式は欠席し、お祝いの品を送っておきました。 当日、本人は午前2時に起床し、髪を結い、化粧を施し、衣装を着て、朝から儀式、その後夜まで延々と披露宴が続いたそうですが、会社の先輩の結婚式と同じ、飲まず食わずで接待していたそうで、「初夜もクソもあるかい!二人ともぶっ倒れて爆睡したわ!結婚式なんて二度とゴメンや!」とは本人談。
式には、親友の一人ポーンが、姉と母親と幼児を連れて式に参加したそうです。首都圏でいわゆる電電公社(言い方古いっちゅうねん!)でお堅い公務員をしていて、一度ニュージーランド男性と事実婚はしたけど別れ、その後お互いの家を行き来するタイ人男性がいると聞かされていましたが、ある日突然「ピサヌロークの実家に帰る。実家の近くの電電公社支所に移動になった」と言ったきり、連絡が途絶えていました。それはもう2年以上前のことです。そして今回、ヌットはダメもとで招待状を出していたそうですが、まさか本当に来るとは思ってなかったそうです。しかも子連れ。しかも1歳半。例のタイ人男性との間にできた子供ではあるらしいのですが、男性は参加しておらず、今どこにいるのかも結局聞かずじまい。想定外の「できちゃった」だったために、実家に身を置き、密かに出産したのかもしれませんが、友人としては一言くらい言って欲しかったなあ、水臭いよなあ、というのが我々仲間うちでの感想です。あ、出産祝いも何もまだ贈ってないことに今気が付きました。今月は、何かと費用がかさみます。 結婚式の料理今回の結婚式というか披露宴、よくある円卓テーブルでの着席パーティだったのですが、シーラチャーやいわゆる田舎で開催される場合と比べ、料理が格段に高レベルでした。外国料理に対してこれでもかという位に選り好みをする上司たちも、「おいしい!」を連発。 呑み助ばっかりの先輩のテーブルは、大喰らい揃いでもありました。10席のテーブルに1皿ずつ運ばれてくる料理は、あっという間になくなり、テーブルの上にはウィスキーのグラスしか見当たらない状態でした。 チョンプーちゃんと上司のテーブルは、我々以外に新婦の友人家族と新郎の叔父さんが座っていましたが、もちろん全員華僑。うち3人は、おばちゃん。先輩のテーブルは大食漢ばかりで全く心配ありませんでしたが、我々のテーブルのおばちゃん方も、頂けるお食事は残してはならないとばかりに、全て自分たちの周りに並べ、全て片付けました。まさい鮮やかな食べっぷりでした。 ちなみにアル中上司が食べたのは、おつまみとオードブル少々、あとは味見程度で、「酒が主食であり副食」という言葉の通りの呑みっぷりでした。 上司、結婚式に参加する編上司達も、もちろん会社の先輩の披露宴に招待されていました。当日は我々一団とほぼ同時に、10時50分ごろ「一番乗り」で到着。12時近くまでは水とコーラのみで和やかに社員と談話するなどしていました。 おつまみがテーブルに並ぶと同時に、水割りと赤ワインが、ケチ華僑らしく1杯ずつサーブされ始めました。田舎の実家での結婚式とかなら、テーブル毎にボトルが置いてあったりするんですが、今回の披露宴はハイソ披露宴、レベルが違うのでそういうわけにはいきません。 呑み助ばっかりの某先輩のテーブルは、飲む人、飲まない人全てがウィスキーを1杯ずつ受け取り、先輩に「上納」。こういうとこだけ頭が働くのか。実はこの先輩、朝からビールをあおり、会場に向かう車中でもビールを飲み続けていました。こういう人は、テーブルにボトルがご希望らしく、1杯ずつというやり方は相当ご不満だったようです。 そしてチョンプーちゃんも同席していた上司のテーブル。酒が全くダメなゴマスリ上司はコーラをひたすら飲んで時間つぶし。歯ブラシ上司は、スピーチがあるため、控えめにウィスキーをちびちび。そして最初からすっ飛ばすアル中上司。今日はスピーチをしなくていいと分かっているためか、ウィスキーとワインを交互に頼み、どんどん空けていきます。タイ人の給仕に向かって日本語で「赤ワイン」。しまいには、自分で席を立ち、給仕の準備テーブルから勝手にワインやウィスキーを持ってくる始末。さらにそれを他人に押し付けるため、チョンプーちゃんは断るのに必死でした。そして配膳された食事にはほとんど手をつけずに、アルコールだけがさらに加速してきます。食事が一通り終わった頃には顔は真っ赤、上半身が揺れていました。さらにトイレが近くなり、頻繁に席を立つのですが、全然違う方向に歩いて行ってしまう始末。恥ずかしい… 食事が終わり、客も帰り始めましたが、混雑を避けるためにしばらく着席していました。先輩の席も相当盛り上がり、会場の片づけが始まってやっと席を離れましたが、その間も飲み続けるアル中上司。最後には、両脇を支えられて退場。帰り道では何度もトイレ休憩を取っていたそうです。 先輩の結婚式先週日曜日は、ハイソ華僑の結婚式に行って来ました。同じ会社の先輩で、マネージャークラスでは最後の独身と言われ続けた37歳。2年ほど前に、同じ会社のバカ女に半分騙される形で付き合い、借金の肩代わりまでして別れた後、行動が怪しいと評判でした。 英語による教育カリキュラムのある有名私立大学を卒業、日本に留学経験もあり、相当な金持ちの割には服装などに全く関心がない風で、会社のスリッパを常に履き、ボタンの取れたユニフォームも平気で着用するような、どこか一風変わった人間ではあります。 その彼が、去年辺りから、パーティなどに女性を同伴するようになりました。それでもあまり服装センスは変わりませんでしたが。相手は、人身事故の示談金を彼に払わせた年下の女性。女がらみのカネにはあんまり縁がないのか・・・ そして、新年が明けると、いきなり招待状を会社中に配り歩いてる彼。結局、示談金女性を選んだようでした。 結婚式は、1日目は女性の実家で、女性の親族や知人を中心に招待し、朝から儀式を行い、その後食事を振舞ったそうです。 で、2日目は彼の実家に近いバンコク近郊で、彼の親族と友人を招いて開催されました。我々はこの、いわゆる披露宴に上司と共に招待されていたのです。華僑なので、招待状はタイ語と中国語。金と赤で彩られた、おめでたい招待状を頂いていました。 招待状には「11時開演」と書いてあったので、10時50分ごろ到着。一番乗りでした。お金持ち華僑の礼儀らしく、他の客は11時を過ぎた頃から三々五々集まってきました。その間、ずぅ~~っと立ちっぱなし、笑顔作りっぱなしで客を迎える新郎新婦。いちいち写真も撮って、えらいことです。 食事、というかおつまみが出始めたのが12時過ぎ、オードブルが運ばれてきたのは12時半過ぎていました。この間、雇われ女性歌手は、英語、タイ語、中国語の歌を代わる代わる歌っていましたが、途中から明らかに「まだ式始まらんのかい!まだ歌うんかい!」という表情で歌っていました。 そしてやっとこさ新郎新婦が手を繋いで(日本人なら腕を組むところなんだけど)壇上に上がったのは、1時を過ぎていました。 その後は、歯ブラシ上司(新郎の上司)のスピーチ(+チョンプーちゃんの通訳)、新婦の上司のスピーチ、新郎の叔父のスピーチと続き、最後に新郎の母親(父親は新郎が幼少の頃他界している)がスピーチ。この日の披露宴は、新郎側の親戚中心なので、このようなラインナップとなったようです。華僑2世らしい母親、タイ語も話すけど、どうやら潮州語の方が話しやすい様で、スピーチは中国語でした。親戚たちだけが理解して笑ってました。異国の結婚式に迷い込んだ気分でした。 その後ケーキカット、ケーキは1切れずつ、新郎新婦が客に配っていました。日本だったら、カットした後の最初の一切れを食べさせっこしたりするような気もするんですが。 ケーキを配り、各テーブルで写真を撮り、それだけで1時間以上。その間に食事は全て終了、客が帰り始めると、新郎新婦はまた入り口に立ってお見送り。これまた長蛇の列で、いちいち写真とか撮ってるから大混雑。混雑が終わるのを待って席を立ったのが、2時半ごろでした。中流家族とか田舎ではあまりお目に掛かれない、豪華レベルの披露宴でした。写真は後ほどアップします。 2008/1/17 輸送アクシデントまとめてみました最近、輸送関連のアクシデント続出。しかも不可抗力的アクシデント。っていうか、元を糺せば自分らの仕事っぷりのせいなんだけど。それにしても、過去にこんなにアクシデントが立て続けに発生したことはありませんでした。
1.年末の某エクスプレス便。普段積載するはずの航空便に載っていなかった。「テクニカル・アクシデントです」とクレーム・センター。「荷物が多かったくて乗り切らなかった」のはテクニカル・アクシデントなのか?
2.年始一発目の某エクスプレス便。ベトナムはハノイ向けに出荷した荷物は、普段通りの便に積載されるとの知らせを受けてホッとしていたところ、翌日「ホーチミンシティに行ってしまいました」タイ、ベトナム双方からあらゆる手を尽くしましたが、当地税関がこれまた完全なお役所気質で取り合ってもらえず、結局当該荷物がハノイに着いたのは当日の真夜中でした。
3.香港向け出荷の船便。到着してみると貨物にフォークリフトの爪跡が。しかも、真っ直ぐぶすっと刺さってるのでなく、右から左へ横長に、箱の中が見えるほどの深い跡。実はこのようなフォークリフト問題は過去にも数回発生しています。が、複数の理由が重なり、解決できないままに、うちの会社が客先に補償金を支払ってしまっています。この問題を解決するために、と理由をつけて、近々香港出張が実現しそうです。
4.年始の香港向け船便。出港日を過ぎた後に船会社から連絡が。「御社の香港向け貨物、東京向けの船に乗ってしまいました」なんでやね~ん!幸い在庫を持っていたので急遽航空便を飛ばして代替品を香港向けに出荷。東京に行った貨物は、また船に乗ってタイに戻ってくることになったそうです。
5.インドネシア向けに某エクスプレス便で出荷した2箱の貨物。出荷翌日にインドネシアから、「1箱しか着いてません!」クレーム・センターの説明は、「シンガポール経由の便で輸送したのですが、シンガポールで1箱置き去りになっていました」2箱の貨物を別の場所に置く、それが標準作業なのか?
6.インドネシアとベトナム向けに類似貨物を同時出荷。翌日、ほぼ同じタイミングで双方から連絡。「貨物の一部、入替ってます」…急いでるから高い料金払ってエクスプレス便使ってんのに、こんなんじゃあ余計に時間も経費も掛かってる!
果たして今日は無事に出荷できるんでしょうか。毎日ジェットコースター並みの興奮度です。 一眼レフほちい年末に数名で行った東北への旅。同行した先輩の友人は、先輩とは幼稚園からの同級生で、普段は会計事務所を経営しているようですが、芸術関係大学の出身者。ギターの弾き語りは素人の域を超えてるし、絵も描く。さらに今回は、定番のギターに加え、一眼レフのカメラを持参し自然の風景や我々の様子を何気ない調子で撮影していました。 父親や弟がカメラをいじっているのを見ていた自分としては、興味津々。今時デジカメじゃなくてフィルムで、っていうのも渋い。某日系ブランドで一眼レフ付デジカメって売ってたけど、ごっつ高かったのを覚えてます。が、この友人、中古カメラ屋で数千バーツで購入したそうです。 昨日、撮影した写真が送られてきました。なんか、デジカメとはやっぱり違いま 体調管理今朝6時30分、いつもの通りアル中上司を迎えに車で向かう途中、電話が鳴りました。アル中上司が、「今起きたとこだから、先に行って下さい」・・・またですか・・・ オフィスに到着し、歯ブラシ上司に事情を聞いてみると、案の定。そこらの犬やネコに貢ぎまくって金がないようで、外で飲むと金が掛かることを理由に昨晩は部屋で飲んでいたらしいのですが、リラックスしすぎたのか、深酒になり、最後には10階の歯ブラシ上司の部屋から9階の自分の部屋まで自分で歩けず、歯ブラシ上司が抱えていったそうです。 そして8時前にアル中上司から再度電話。「体調悪いから休ませてくれ」 体調管理、63歳にもなるんですからちゃんとして下さい。 2008/1/3 ついにカオ・コーへ!12月31日、今日こそカオ・コーに!と寝坊気味ではありながらも、テントを片付け、別荘もきれいに清掃し、出発しました。29日早朝からこのこの日の出発までの間に、ジョニ黒5本(リットル瓶数本含む)、ソーダ2パック以上(50本超)、リットル水10本以上、鶏手羽先6キロ、牛肉(おそらくは水牛の肉と思われる。だって臭かったし超固くて咬み切れんかったし)3キロ、1キロ以上の大量の野菜に卵1ダースが消費されました。育ち盛り(中学1年)でしかも教室中で一番背の高い男児2名、泥酔×大食漢3名がいたら当然か。 というわけで、まずは別荘からおよそ30キロ離れたナム・ナーオ国立公園に。100キロ離れたカオ・コーへ。コンケン県を抜けてペッチャブーン県に入り、ロムサック市内を通過します。チェンマイ大学時代の知人が数名、ロムサック市出身だったこともあって、ずっと行ってみたかったのです。通過中、街、というか田舎の風景を眺めながら、あの知人達は今どこで何やってるんだろう、としばしタイムスリップ。
ロムサックを過ぎて、ペッチャブーン市に到達する手前で、カオ・コー方面へ。王室の避暑地があり、軍隊の拠点の一つでもあるカオ・コーは、1973年、1976年の、独裁政権に反発して発生した学生運動(本来この一言で片付けるのはどうかとも思うんだけど、一般的にはこのように説明されてるよう)の後、共産主義者とレッテルを張られた学生達が身を隠し数年を過ごした場所でもあります。またモン族という山岳民族が多く住む土地でもあり、1960年代後半には反政府暴動が起き、多くのモン族住民が犠牲になっています。 山中の曲がりくねった道を登ること1時間弱、30年前はただの山だったんだろうなあ、と想像してはみましたが、現在はリゾートだらけ、テントが張れるキャンプ場だらけ、道も整備され、バンコクからも東北からもチェンマイからも車がひしめいていて、急な坂道に慣れないため、大往生。当時の学生たちがこの風景を見たらどう思うんだろう、と考えたりしました。 頂上手前には、犠牲者慰霊碑があります。ただし、政府の犠牲者。慰霊碑周辺には、当時軍隊が使用していたヘリや飛行機の残骸、要塞跡などを展示していました。先述のモン族や学生との闘争で犠牲となった、政府の兵士。学生運動当時の資料をあれこれ読んで思考が傾いてるのかもしれませんが、当時の政府が英雄扱いされることに、何か違和感を感じたのでした。 慰霊碑や展示物はともかく、高い山(っていっても1,000メートルちょっとか)の上からの見晴らしはとてもきれい!空気が澄んでいていて、山間に小さな村落や蘭の花のハウス栽培などが散在している風景が、名張の実家に似ています。その間に小ぎれいなリゾートが点々と建ち、その周りを色とりどりのテントが囲んでいます。日差しはやはり暑いけど、涼しい風が吹いていて、木陰での昼寝に最適な環境でした。
カオ・コーを後にしたのが午後3時過ぎで、その後は往路とは別ルートへ。ペッチャブーン県からロッブリー県に入ると、以前にも通ったことのある路へ。ロッブリー、サラブリー、アユタヤを抜け、首都圏をかすってチョンブリーへ。大がつくほどではないけど、ほどほど渋滞がずっと続いていました。街を通過する時には、あっちこっちで今宵の宴会→カウントダウンの準備をしている姿が見られました。円卓、椅子、料理、屋台、舞台など、華やかなこと。ところで自分たちはどこでカウントダウンになるんやろか?最悪モーターウェイの道ばたで新年バンザ~イ!とかするのか、と思いながらもチョンブリーに向かって走り続けること約8時間、時間は午後11時、荷物を降ろし、各人の家に送り届け、チョンプーちゃんが自宅に到着したのは11時40分でした。疲労も限界に達していて、ケツは痛いし、足も痛いし、12時のカウントダウンを待っていられずに眠ってしまいました。 今年もキャラバンに出発12月28日、調和の取れない上司たちの尻拭い的仕事を終えて、キャラバンの旅に出たのは午後8時。酔いつぶれて記憶がなさそうな先輩、友人、子供ら総勢7名がピックアップに乗り、いざ東北へ!というか、一応中部に入るらしいけど、地理的にも言語的にもはっきり言って東北といったほうがしっくり来る、さらに山をつたってラオスにも続いているペッチャブーン県がメインなのですが、乗客1名をコンケン県の実家に送るため、東北周りルートで行くことになったのでした。 シーラチャーを出て2時間ほど、チャチューンサオ県からプラチンブリー県に入るあたりで、大渋滞に巻き込まれてしまい、普段は使ったことないくせに、やたらと長い赤信号を待つこと2時間以上。やっとのことで渋滞を抜けると、今度はド田舎の超高速ゾーンへ。バンコクや首都圏からの車輌が飛ばしまくりで、眠たいのに寝られないままナコンラーチャシマー県(コーラート)、初のチャイヤプーム県を通過し、コンケン県はチュムペー市に到着したのは12月29日午前6時過ぎでした。合計約500キロの道程、運転しっぱなしもそりゃあ疲れるだろうが、座りっぱなしもケツが痛いのでした。
コンケンに実家のある1名が、タマリンド園に別荘を持っているのでそこで休憩してから観光に出かけたら、と提案してくれました。市内の実家からタマリンド園の別荘まで約30キロ、また別荘からペッチャブーン県内の目的地までは30-100キロと近いこともあり、睡眠休憩を取ることに。と思ったら、泥酔状態の先輩が一目でその場所を気に入ってしまい、せっかくテントや寝具も持ってきたのに、別荘を占拠し、早速酒盛り。 さらに夕方になると、別荘の主である母親と親族やご友人達が、大量の食料を持って集合し、その夜は別荘でプレ新年会。東北地方風の野菜スープ、鶏や牛肉の炭火焼その他諸々、そしてジョニ黒でお祝い。涼しいながらも、ジャケットを羽織っての野外宴会となりました。 結局前夜から寝ないで1日過ごしたため、疲労困憊で午後10時にはダウン状態。せっかくテントを持ってきたので、雰囲気だけでもと、タマリンド園の中でテントを張って、寝ようと思ったら、泥酔でトランス状態の先輩が歌い始め、寝られない…しかも、12時近くになって、後を追って来た1名を、30キロ離れたチュムペー市内に迎えに行くことになり、寝不足で吹き出物出まくりの状態に。後から来た1名も加わり、興奮状態はさらに加速。結局寝静まったのは午前2時過ぎてました。 2008/1/2 謹賀新年 2008年新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、超自己中なブログにお付き合い下さり、大変感謝致しております。
タイでの生活も3年7ヶ月を過ぎ、いつまで日本人のアイデンティティを保っていられるか(まだ持っていたのか!とは言わないで頂きたい)、などと考えながら過ごしております。
仕事、仕事にかこつけた用事はますます忙しくなってきていますが、休日には県外に出かけてリフレッシュを心掛けています。日本の1.4倍の国土を持ち、76の県で構成されているタイ王国、まだまだ未経験の場所も多く、行く度に新たな発見があります。
2008年の抱負なんてのは特にありませんが、初心を忘れず、年女なんてことは気にせずに常にアグレッシブに、新しいことに挑戦して行きたいと思っています。
最後に、皆様にとって2008年が幸多き年であります様、タイから祈念申し上げます。そして、今後ともよろしくお付き合い下さいます様、お願い申し上げます。
タイ・シーラチャーより チョンプーちゃん |
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