| 個人檔案タイって素敵!相片部落格清單 | 說明 |
|
2009/7/28 草サッカー観戦日曜日は、友人に誘われて、近所の市役所グラウンドでサッカー観戦をしました。 シーラチャー市民サッカー大会の一次予選は、9人制で25分ハーフの試合で、一般会社、市役所職員、学校OB会、大学教授などなど、あらゆる職業の方が参加していました。毎週末に複数の会場でリーグ戦をこなしていくのですが、場合によっては会場を移動する必要もあるようです。その辺、日本ってちゃんと考えて試合日程組んでるなあ、と改めて思いました。 内容は、まさに草サッカー。選手が家族を連れて来ていたり、近所の子供が木陰でアイス食べながら観ていたり、トゥクトゥク運転手が、仕事をサボってるのか、停めたトゥクトゥクで寝そべりながら観てたり、のどかな風景です。 小さい頃、父親の草野球に連れて行かれた記憶がありますが、タイの草サッカーもそんな感じですね。 ちなみに、友人のチームは、来週の一次予選最終日を待たずして予選落ちが決定しました。9人制のところ、遅刻者がいて、前半は7人しかいない状態でプレーしてるんですもん、そりゃ勝てるわけないわ。でも、みんなサッカーが好きなんですね。勝ちだけを求めてるわけじゃなくて、純粋にサッカーを楽しんでる様子が伝わってきました。 帰宅して鏡を見ると、思った以上に焼けてる・・・一応日焼け止めは塗っていましたが、木陰にいたので大丈夫!と思ってたら、紫外線って意外にキツいのね・・・ 2009/7/20 ご当地餃子三重県津市のご当地餃子の記事を見つけました。 初めて知りました。津市といえば、「はちみつ饅頭」だと思ってました。 東海ウォーカー、ネタに困ってるのか? 町おこしの起爆剤!?“ご当地餃子”の知られざる誕生物語 ラーメンからキャラクターにいたるまで、今や“ご当地”は、流行の重要キーワード。その土地の食材を使っていることもそうだが、独自の“物語”があるのも、魅力だ。 たとえば、“津ぎょうざ”もその一つ。「手包み酒房 餃子日和」(三重県津市)は、学校給食から生まれたという、“出生”を持つ餃子店だ。学校の給食メニューだった餃子を、町おこしの起爆剤として作成し、今では“津ぎょうざ”の繁盛店となったという。 名物、15cmの皮で包んで揚げる「極 津ぎょうざ」(210円/1個)は、ニンニクを使っておらず、国産豚肉と野菜の旨みがぎっしり詰まっている餃子。揚げたあとに、シナモンなど15種類を配合した独自スパイスをかけるのも特徴だ。 今では、甘く煮たリンゴとクリームチーズの甘酸っぱさが絶妙な「スイー津ぎょうざ」(210円/1個)という、スイーツな餃子も誕生し、こちらも好評なのだとか。 (中略) おいしいだけでなく、出生を物語を知ると一層愛着が増す“ご当地餃子”。今日あたり、ジモトの餃子をパクつきながら、誕生秘話を探ってみては? 【東海ウォーカー】
2009/7/16 素晴らしい格言疲れたココロに力をチャージ! 20代女子に聞いた「仕事で落ち込んだときに一番思い出したい格言」ランキング
というお題のコラムを見つけました。
『失敗したり、勘違いされたり……、仕事をしていると辛いこともあります。でも、いつまでも落ち込んだままじゃいられませんよね。そんなときの励みになる、過去の偉人の格言。あなたはどの言葉で元気が出そうですか?
で、チョンプーちゃんの格言?すぐに思いつかないな・・・ 中学3年の卒業文集で、某男子生徒が好きな言葉として「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」(高村光太郎の『道程』だったっけ)と書いていたのを、今も鮮烈に覚えています。大人びた、というか落ち着いた生徒でしたが、今頃どうしてるんかしら。 新型インフルの猛威現在、タイではすでに4000人以上が感染、うち7割以上を20歳以下の若年層が占めており、バンコク都内の公立学校は5日間全面閉鎖となりました。以前からも、私立学校や塾が閉鎖になったりしていましたが、やっと政府が本腰を入れたか、といった感じです。政府は無料でマスクを配布し、ワクチンの追加調達も決定しました。 死者がすでに24名、うち3名がチョンブリ県、しかもウワサじゃそのうち2名がシラチャ周辺の病院に入院していたとのこと、さらに総務部門マネジャーの次女が罹った(そしてもう治った)こともあり、会社はここに来て急に慌てだした様子です。 昨日、新たな会社規則が制定され、①全員マスク着用 ②毎朝夕、体温測定(会社で簡易体温計購入) ③非接触アルコールジェル手洗い器で手洗い励行+うがいの励行 が施行されました。 マスク着用に慣れないタイ人、最初は面倒くさい、耳が痛い、息が出来ないなどと言い訳をしていましたが、学校閉鎖のニュースが功を奏したようで、自分の家族が感染したら、と思ったようです。さらに、会社閉鎖になるよりはマスクした方がいい、と言い合い、やっと着用が定着しつつあります。こうなると、仲間はずれ意識の強いタイ人、マスクを着用しない者を非難し始めます。さらに、1日1枚必要だ、と言い出して、会社の在庫は常に不足状態。どこまで調子ええんだか・・・バイク文化のベトナムと同じ心理ですかね、他の人と差をつけたいらしく、会社支給マスク以外の色や形のマスクを自慢する人まで出てきました。上司が日本から持ってきたマスクも大人気です。 前出の、マネージャーの娘が通う学校では、マスク未着用者の入校禁止となっているそうですが、うちの会社も、マスク無着用者は入れなくなるようです。 最近、日本の新型インフル関連ニュースをとんと聞かないのですが、収束に向かってるんでしょうか?それとも選挙のせいでしょうか? 2009/7/11 ベトナムの“阮”姓について質問してみました先に書いたベトナム人の“阮”姓について、自身も“阮”姓であるベトナム人タムさんに聞いてみました。 よくぞ聞いて下さいましたとばかりの超早いレス!「君が興味を持ってくれて嬉しいよ。君が聞いてくれなかったら、僕も歴史なんて忘れかけてたな」やっぱりそういうもんなんだ、学校で習ったものなんて(笑)以下はタムさんの説明です。
“阮”は、君の言う通りベトナム最後の王朝の姓で、最後の皇帝は“グエン・バオ・ダイ(阮保大)”と言うんだ。彼の在位期間は1925年から1945年で、1945年に我々の国は“ホー・チ・ミン(胡志明)”を主席として独立したんだけど、彼の姓も、“グエン・シン・クン(阮生恭)”と言ったんだ。“阮”姓は阮王朝の子孫や親族と考えられるね。ただそれはほんの数パーセントに過ぎないんだ。というのは、ベトナム人はいくつもの国に分かれていて、ディン(丁)、リー(李)、チャン(陳)、レー(黎)など多くの王朝が建てられてるからなんだ。ある王朝が成立すると、皇帝によっては、人々に皇帝と同じ姓への変更を強制するケースがあったんだ。あるいは、新しい皇帝が現れ、新しい王朝が成立したとする。その皇帝は人々に多くの幸と自由と富を与えた。すると、人々は自発的に自分のせいを現皇帝と同じ姓に変え、皇帝の与えてくれたものに対する感謝の気持ちを表したんだ。君が歴史について知っている1945年から1975年の間に、ホー・チ・ミンの姓“阮”へと変更した家族がたくさんいたんだ。僕の姓も“阮”だけど、皇帝に倣った姓かどうかは分からないなあ。戸籍の中のどのご先祖様にも、皇族だったと書かれている人もいないなあ・・・
こんなことしてたら、タイの歴史よりベトナムの歴史に詳しくなっちゃうわ(笑) ベトナム・ツアー “阮”姓うちの会社のベトナム拠点は、ハノイ(河内)から100キロほど離れた海辺にある街ハイフォン(海防)にあります。ガイドをしてくれた、ベトナム拠点のスタッフ タムさんの姓は“阮(NGUYEN、グエン)”なんですが、会社内にも同じ姓の人が数人います。会社以外でも、何度も見かけた記憶があります。どっかで見たことがあるなあ、と思って歴史を調べてみると、1802年から1945年に植民地となるまでの間、ベトナム(越南)中部のフェ(順化=トゥアン・ホアからホアが訛ったもの)を中心として建国されたベトナム最後の王朝が“阮”王朝だったんですね。これと関係があるのかどうか分かりませんが、もっと調べてみたくなります。
高校時代の“世界史”は、受験のための勉強で、しかも自分が実際観たことのない、触れたことのない事実について教科書を読んで覚えこんでいく作業は、多少興味はあったけれど、受験のプレッシャーもあり、どちらかというと苦痛でした(笑。みんなそうでしょ!)いろんな国や地域・地方に行って、実際に見たり聞いたりするようになって、もっと知りたい!と自分から尋ねたり、ネットや本で資料を探したりしてしまいます。どこに行っても、いわゆる民族博物館とか、歴史博物館なんかはつい見入ってしまいます。だからといって、大学や大学院で勉強しなおすとか、突き詰めまくって論文書いたろ、というほどではないのですが。それやったら人生設計が振り出しに戻ってしまいます(笑) ベトナム・ツアー ベトナムの子供たちハノイの伝統芸能である水上人形劇を見に行った時、フランス人らしき夫婦と、ベトナム人のお嬢ちゃんという組合せを見かけました。両親は娘にフランス語で話しかけていましたが、娘は何も答えません。話せないのか、単に人形劇に夢中だっただけなのか分かりませんが、理解はしているようでした。いずれにしても、養親・養女ではないかと思われます。こういった、白人の養親とベトナム人の養子というケースを何組か見かけました。日本にもある、里親とかそういうのなんでしょうか。援助を受けてベトナムで成長する養女なのか、フランス(かどっか養親の居住国)にもらわれていき、ベトナムに“里帰り”をしていたのか、分かりませんが、こういった制度が必要な環境であるということなんですね。
泊まっていたホテルで、どう見てもアジア人の顔つきをした青年4名を見かけました。顔つきはアジアなんですが、歩き方、服装はベトナム人とは全然と言っていいほど違います。彼らの会話を聞いてると、英語。フツーに英語。と、うち1人がホテルにおいてあった新聞を手にしました。ベトナム語の新聞です。その後ホテルスタッフと話をしているのを小耳に挿んだのですが、ベトナム人だけどアメリカ育ちだそうで、誰かの親戚訪問を兼ねて遊びに来たのだそう。ベトナム語が読めるのはどうやら新聞を読んでいた1人だけで、ベトナム語が話せるのは彼を含め2人、あとの2人はベトナム語は挨拶くらいしか分からない、と言っていました。歴史的背景がそうさせたのでしょうか、他人事ながらなんか複雑な気持ちになりました。そういう環境で育った彼ら自身って、ベトナムやベトナム人、あるいはアメリカやアメリカ人に対してどう思ってるのだろうか、と余計な詮索をしてしまいました。 2009/7/10 タミフルですよ~!ベトナム旅行で散々楽しい想いをし、タイに帰って筋肉痛で1日寝転がっていた5連休の後は、怒涛の仕事が待っておりました・・・メールの処理だけで半日、その間に電話は鳴りっぱなし、さらに、こういう日に限ってアクシデント続出。社内で走っていると、先週日本に帰っていたゴマスリ上司から封筒を渡されました。「タミフル、日本から海外出向者全員に配布だって」そこまでして頂けるんですか! 確かに、先週日本から監査に来ていた日本人も、「会社からタミフル持たされたんだよ。1本6,000円もするんだってよぉ。で、使わなかったら返してくれって言われたよ」やはり不足気味なんでしょうか、日本も。
確かに、タイ国内感染者は日を追う毎に増加の一途、先月辺りから死亡者も出始めています。現在感染者は2,000名に迫る勢い、死亡者は14名になっています。日本のほぼ半数の人口のタイで、日本とほぼ同数の感染者が出てる、ということは、感染者の割合は日本の2倍? 実は、チョンブリー県だけでも3名の死亡者が出ており、もちろん報道はされませんが、うち2名はシラチャ市内の病院で亡くなってるらしいんです。うちの社員の友達のいとこの・・・みたいな人らしく(笑・・・いや笑えん)、とにかく先週辺りから、シラチャでマスク着用者が急激に増えた気配がします。 実は、うちの会社のマネージャーの娘さんも感染者の1人だったそうですが、例の如く痰のサンプルをバンコクの病院に送り、とにかくタミフルを服用し、結果を待っている48時間の間に完治してしまったそうです。新型とはいえインフルエンザ。初期症状の時にタミフルじゃなくても風邪薬を服用しておくことである程度抑えられるようです。
で、本社から配布されたタミフル。錠剤で、お1人様10錠。説明書が同封されていたので読んでみると、「予防薬として飲んで下さい」・・・全然罹ってないかもしれないのに、お高いお薬なのに、いきなり10錠飲みきっちゃっていいんですか?飲み終わった後にどっかで感染する可能性だってないわけじゃないし。上司も苦笑。前述の、娘が感染したタイ人スタッフにその話をすると、「タミフルって、罹ってからとか、症状が出てから飲まないと効かないって医者が言ってたよ」 ちなみに、タイの病院でも以前は予防薬として処方していたところもあるようですが、実は効用がない+高い(1錠300バーツ!)+数が少ない→感染が確認された人にのみ処方、という結果となったようです。どこもやってることあんまり変わらんな・・・ ベトナム・ツアー 白人のカラオケ大会ハロン湾ツアーの夜、船上で思いがけず盛り上がったカラオケ大会。白人がこんなにカラオケで盛り上がるとは思いませんでした。特に、イギリスの学生デュークは、ロッド・スチュワート並みの渋い声で熱唱し、大喝采でした。 ただ、日本人みたいに順番にマイクを回して・・・なんて光景は全くありませんでした。バカンスに来ている彼らのはちゃけっぷりは羨ましいとは思うけど地獄絵図的でもあり、ひたすらデュークにあれ歌って!これ歌って!とリクエストする姉ちゃん、とりあえず何を聴いても踊りまくってるおばちゃん、彼女のためにだけひたすら歌う兄ちゃんと、それに陶酔しきってる彼女、歌えないのにマイクを握る学生、ぜ~んぜん歌なんか聴いてなくて、お喋りに夢中な女性集団・・・盛り上がってるというか、酔っ払いの集団ですね、単に(笑)ええ経験させて頂きました。 ベトナム・ツアー バイク文化ベトナムは、先にも話しましたが、バイクが中心。自動車はまだまだ少数派です。市内を車で走っていると、バイクが飛び出してくるし、めちゃくちゃ狭い隙間でも抜かして行きます。さらに、バイクに混じって自転車や歩行者も平気で道路に飛び出してきます。自動車はそれを見ながら、ゆっくりと走り、時にはクラクションで追い散らしています(笑)夜になると、ホアン・キエム湖の周りを流しているバイクの数も、半端じゃありません。これは見ものです(笑) こんなバイク文化の中で、ファッションを追い求める若者は、メットとマスクで差をつけます。どうやらベトナムでは、運転者も同乗者もメット着用みたいです。もちろん、市外ではノーヘルとか平気ですが。メットは、べスパに合うような半メットが主流のようで、BIG Cでもメットが山盛りになって売られていました。フルフェイスはほとんど見かけませんでした。さらに、マスクも、結構頑丈な布製で、色も模様もバリエーション豊かでしたし、どこでも売られていました。ちなみに、べスパは高級品で、大抵は日本製、しかもタイよりも数モデル遅れている感じがしました。これがうちの会社の輸出を助けてるのね、と妙にありがたく感じました。 ベトナム・ツアー⑧ 帰国夕方やっとのことでホテルに戻り、荷物をまとめて、ノボさんと待ち合わせて空港に送って頂きました。ノボさん、何から何までありがとうございました! 帰りの便は、日帰りでタイに帰る日本人ビジネスマンが目立ちました。隣の席の日本人商社マンらしき兄ちゃんは、飛行機の中でもずっとパソコンをいじっていて、鬱陶しいことこの上ありませんでしたが、こちらはホリデー、ワインをちびちび。ハロンからハノイに帰るバスの中で爆睡したこともあり、旅の興奮というか余韻に浸りながらバンコクに向かいました。往路でも感じましたが、1時間半のフライトは、外国に来た感じが全然しなくて、3連休くらいあればまた行けそうな感じです。 バンコク到着は予定通りだったのですが、韓国と台湾からのフライトと荷物受取場所が同じになってしまい、場所の取り合いでどつかれそうになるし、着陸後1時間かかってようやく空港を出ました。自宅到着は午前1時になる頃でした。 翌朝は、カヤックの筋肉痛で起き上がれませんでした・・・ ベトナム・ツアー⑦ 1泊2日ハロン湾ツアー7月6日から、1泊2日のハロン湾ツアーです。日本人ガイドをつけると(つまり日本人専用ツアーにすると)料金がバカみたいに高くなってしまうこともあり、思い切って英語ガイドのツアーに申し込みました。予想通り、白人の世界。おそらく、タイ人たちはタイ人ばっかりのツアーで行ってるんでしょう。市街から波止場までは日本人の学生カップルがいましたが、波止場で数グループに分かれ、同じ船には白人+ワタクシ。イギリス、オーストラリア、ポルトガルからそれぞれ友人同士、ゼミ仲間、恋人同士で来ていました。上船後のランチで同席した人たちと仲良くなり、みんなビールを飲みながらリラックスした雰囲気の中、チョンプーちゃんもなんとか会話もこなせて、盛り上がりました。昼食後は、船の屋上のデッキでリラックス。ハノイ市内を出た頃は降っていた雨もすっかり止み、時折強い日差しが差したものの、薄曇りの心地よい天気で、世界遺産らしく素晴らしい眺めを見ながら、とめどなく話をしていました。白人たちは皆、長期休暇を利用してアジア各国を周遊している人ばかりで、タイから来た、シンガポールから来た、次はフェに行くの、などと話してくれました。私がタイから来たと知ると、タイではプーケットに行った、どこに行ったと旅の話をしてくれました。数人は、「ベトナム料理って味気ないよね~タイの料理が懐かしいわあ」と話していました。ベトナム料理は、味付けも薄めで、ソース類も少なく、タイ料理に比べて味のバリエーションが少ないよね、というのが皆さんの一致した意見でした。昼食後、洞窟巡りと丘の上の展望台登りで膝がすでにガクガク(笑)海水浴も楽しみました。ハロン湾は何千という島が並び、それぞれに伝説があって、21歳の女性ガイドが説明をしてくれました。現在ベトナムは夏休みで、学生アルバイトのガイドが結構いるみたいです。 夕食後、なぜかカラオケタイムになり、西洋の人ってカラオケ好きなのかな、と反応を見ていたら、大盛り上がり(笑)ガイドもベトナムの歌を歌ってたんですが、それ、タイのトンチャイ(バードの愛称で親しまれるタイ最大級のスター)の歌やん! 洞窟巡りで疲れていたせいか、チョンプーちゃんは午後10時ごろ就寝しました。数人は0時ごろまでカラオケで盛り上がり、さらには屋上のデッキで飲みなおしていたようですが。さっすが休暇中はとことんまでリラックスするんですなあ。自分たちも学生時代はこんなことしてたんかなあ、と懐かしい気分になりました。ちなみに翌朝のデッキには、恐ろしい数のワインのボトルとビール缶が転がっていました。 2日目は、朝食後カヤックで洞窟巡り・・・と思ったらイギリス人男性2人組はいきなりひっくり返るし、ガイドが示した方向とは全然違う方向に行ってしまう人もいて、結局洞窟にたどり着いたのは1組だけ、我々は洞窟を“見た”だけで引き返しました。生まれて始めてのカヤック、前日の洞窟どころじゃありません。全身運動です。しかも自分の力で漕がないと戻れない、時間は迫ってくる、と焦りまくって、同乗の女性と二人、必死で漕いで漕いで漕ぎまくりました。船に戻った後しばらくは、腕が震えてました。自分の体力のなさが情けない・・・その後船は元の波止場に戻り、ハロン市内で昼食後、ハノイに向かいました。前夜の午前様+カヤックで大はしゃぎのせいで、全員爆睡(笑) ベトナム・ツアー⑥ 運命のアオザイ午後は、市内でアオザイを売ってるお店を数件回ってみましたが、これ!というのがなく、どうしようかと思っていたら、ノボさんのドライバーが、市街から少し離れたシルクを売ってる通りに連れて行ってくれました。数件物色した後、偶然雰囲気のよい素敵なお店を見つけて入ってみると、運命の出会いが!上着は黒地に黄色の刺繍模様、パンツは刺繍と同じ黄色のアオザイが、何気に目に入りました。強く惹かれるものを感じて、その場で試着、丈合わせをして、お買い上げ! その後、時間があったので民族博物館に寄りました。ベトナム、というかインドシナ半島の文化的歴史を紹介していて、興味深く見学しました。 さらに、韓国人が経営するベトナム・マッサージにも連れて行って頂きました。タイのマッサージと大きく違うのは、ホットストーンを使って背中をごしごし(というかつるつる)と擦ってくれるところ。マッサージお姉ちゃんの手のひらが心配でしたが、凝りもほぐれ、血行もよくなる感じがしました。 この後、小腹が空いたのでスイーツを頂きました。スイーツ類もタイではなかなか探せない上品なお味で、もしかして洋食類に関しては、タイよりベトナム(もちろんハノイだけど)の方が苦労しないんじゃないかと思いました。 空いた時間で、ベトナムのBIG Cにも連れて行って頂きました。タイにもある、大型ショッピングセンターとでもいうんですかね。日曜日の夕方ということもあって、大勢の買い物客で賑わっていました。フランスパンって一般的な食料のようで、50センチくらいのフランスパンがダース売り(笑)されていました。人々は、それを袋なんかに入れずに紐で縛って持ち帰っていました。 夜は、ハノイ市内に戻って、聖ヨゼフ教会(ハノイ大教会)を通過し、ノボさんが予約しておいて下さった高級フレンチレストランへ。セレブ御用達のお店は、雰囲気もよく、店員の教育も共産主義国であることを忘れるほどに徹底していて、心地よく食事ができました。コース料理を頼んだのですが、フレンチ・・・っていうかコースっていうスタイルはフレンチですが、メニューはベトナム料理ですな。それでもさすがセレブ御用達です、上品な味付けでした。オーストラリアワインを、二人で2本空けてしまいました。ノボさん、翌日仕事だってのに、すいませんでした。でも美味しかったですネ! この日は、本当にいろんなところに連れて行って頂きました。普通のツアーじゃ行けない場所、できないことをめいっぱい楽しませて頂きました。 ベトナム・ツアー⑤ 学問の神様ホーチミン廟でココロがいっぱいになった後は、文廟へ。ベトナム最初の大学として、西暦1000年ごろの李王朝(やっぱり中国人だよなあ)が建てたものだそうです。現在では、学問の神様として受験生が祈願に訪れる場所でもあるようです。偶然にも7月2日金曜日からの3日間は、いわゆる共通一次(センターって言えよ!)みたいな大学受験だったようで、我々が訪問したこの日も、受験生らしき若者が合格祈願に来ている姿を見かけました。亀は学問の象徴であり、昔の科挙の試験結果を亀が背負っている銅像があるのですが、これを順番に撫でている学生がいました。おまじないみたいなもんでしょうか。堂内には、学問の祖なんでしょうか、孔子さん(だと思う)の像が弟子像とともに建っており、学生たちはここでも受験祈願をしていました。お土産物コーナーでは、「登科」(受験合格)とか「如意」(グッドラック)などと書かれた栞や、お守りのような袋、キーホルダーなども売っていました。日本と変わらないなあ、という印象でしたが、そういえば自分は、どこでどんな祈願をしたんだっけ。 ランチは、文廟前のカフェで、ベトナム風サンドイッチ“バインミー”に挑戦しました。ハノイ市内は、たいていどこにでもカフェがあり、バインミーやスイーツなどが食べられます。これはフランスの影響でしょう。カフェの雰囲気やたたずまいも洒落ていて、品があるというか落ち着きがあるというか、まったりできる感じです。それになによりパンがおいちい~!ホテルの朝食で食べたパンも、ハズレなしだったし。あとコーヒーもめっちゃ好きです。以前に頂いたことがあって、それ以来ベトナムコーヒーのファンです。お土産にもコーヒーは外せません。そしてバインミー。チキン味の中身をはさんで、外側をこんがりトーストしてあるんですが、これがまた美味しいんです~!街角でも結構売ってるのを見かけましたが、ノボさんのおっしゃる通り、小腹が空いた時には最適です。 ベトナム・ツアー④ ホーチミン先生7月5日は、朝からノボさんと市内観光の日。ハノイといえば、というかベトナムといえば必ず訪れておきたい場所、ホーチミン廟に向かいました。ベトナム人にとっても、ハノイに上京すれば必ず訪れる重要な場所のひとつです。午前中しか開いてないとのことで、この日に設定していたのです。小雨が降る街中を走り、廟に着くと、まばらながら人の列。ノボさんがおっしゃってましたが、まさに国宝級の警備です。数メートル間隔で警察が並ぶ中を、ベトナム人はもちろんタダ、我々外国人は入場料を払って入りました。ベトナム人も外国人もぞろぞろ歩く中を、我々も着いていきます。途中、荷物を検査され、カメラを預けてさらに進みます。敷地は広く、きれいに整備され、ホーチミン先生に対する国民の敬意のほどが計り知れます。 厳重な警備の中を潜り抜けて、廟内に入ると、ひんやりとした空気に包まれました。カメラはすでに預けているので写真はもちろん撮れませんし、喋ってもいけません。ただ列に沿って歩いて行くんですが、荘厳という言葉がふさわしい雰囲気に包まれています。廟内から、ホーチミン先生の遺体が安置されている室内に入ると、薄暗い中にガラス張りの棺(というのか?)があり、その中に蝋人形のようなホーチミン先生のご遺体が横たわっていました。そういえば、レーニンさんもこんな感じで保存されているんでしょうか。まるで眠っているようなホーチミン先生の姿に、急逝した祖父を思い出しました。 1969年、ベトナムの独立を待たずして亡くなったホーチミン先生、特に今年は没後40年にあたります。国を愛し(ホー・チ・ミン=胡志明という名前の他に使用していた名前に、グエン・アイ・クォック=阮愛国というのがあります)、国民のために戦い続け、今もベトナムの父と呼ばれるホーチミン先生はしかし、市内の各家庭や店にも、ホーチミン先生の肖像画が飾られているし、お札も全部ホーチミン先生。廟の中のホーチミン先生を見て思いました。ホーチミン先生は“いまだ死なず”にベトナム人の心の中に生きているのかもしれません。 その後ホーチミンが生前暮らしていた家、ホーチミンの業績を紹介しているホーチミン博物館を回っている間に雨脚が強まりましたが、訪問者は途切れることなく、雨合羽を買ったり傘を差したり、タイでも見たことがあるような、ビニール袋をシャンプーハット的に被っている人もいました。博物館では、戦争に関する展示も多く、特に女性が参加する姿が多く見られました。昨日、軍事博物館でも同じように女性の写真が多く展示されていて、タムさんは誇らしげに「男も女も、当時は強制されて戦争に行った人なんていないんだよ。みんな国のために戦いたい、と自主的に戦争に行ったんだ。女性でさえ国を守ろうとするベトナムだからこそ、戦争に勝ったんだよ」と言っていました。ベトナム人にとって、西洋諸国に勝った歴史は、非常に誇らしい事実なのです。 ベトナム・ツアー③ ハノイの伝統夜は、再びノボさんと合流し、ハノイを中心とする北部で生まれた伝統芸能、水上人形劇観劇に向かいました。劇場は何箇所かあるようですが、市内にある、市民の憩いの場でもあるホアン・キエム湖の向かいにある劇場での観劇です。ノボさんが事前にチケットを購入して下さっていたので、入場時間を待つだけだったのですが、待合室というかロビーはタイ人のツアーだらけ・・・もしかして、ベトナムはタイより物価が安いからなのか、(もちろんコピーの)スーツケースとか買いまくってる様子。それ持って劇場に入るんですか?みたいな邪魔すぎる大量の土産物・・・ やっと時間になり、入場してみると、やっぱりタイ人多い・・・ちょっと珍しかったのが、白人夫婦が、養女らしきベトナム人の女の子を連れているケース。注意してみていると、結構いるんですね。里親制度みたいなのがあるんでしょうか。 劇自体は、思っていたよりもはるかに繊細で、人形も精密にできていたし、全体的なストーリーの流れはどうやら無視されているような気もしましたが、それぞれの場面の描写は丁寧でした。人形劇は、雨季で水量が多い時期に何か楽しめるものを、と農民が考え出したものだったと聞いたことがあります。なるほど。それにしても、人形劇の背景は、中国そのまんまです。歴代王朝は中国から攻め入ってきて建国したんでしたよね。フランスの影響を受けるのは、ここ数十年の間のことで、それまでは文字や言語ももちろん、中国そのものと言っていいくらいに中国の影響を受けているんではないかと感じました。 人形劇の後は、湖のほとりにあるベトナム郷土料理+ベトナム音楽の流れるお店に連れて行って頂きました。ここでノボさんが教えて下さったのが、夜になると湖の周りを意味もなくバイクで走る大集団。どうやら夕涼みらしいんですが、流水プールのごとく流れるバイクと、その中に申し訳なさそうに走る完全少数派の自動車・・・ってか、このご時世にバイク流して夕涼みって、ガソリン代もったいなくないか? レストランは、落ち着いた雰囲気の中、ベトナム音楽が流れていました。コース料理を注文し、ベトナムのワイン“ダラット・ワイン”を飲んでみることにしました。料理は何食べても美味しい!春巻きって、超典型的料理なんですね、やっぱり。でも、タイのポ・ピアよりも中身の味付けが濃く、食べ応えがある感じがしました。ダラット・ワインは、えらく酸味の強いワインでした。といいつつ、もちろん全て空けましたけど・・・ ベトナム料理の後、なぜか日本文化に触れる機会が訪れました。“ハノイの日本カラオケ”(笑)を体験させて頂きました。お姉ちゃん達は、大学で日本語を勉強していてかなりレベルは上です。日本語の歌も、え?そんな歌歌えるんですか?みたいな歌を流暢に歌ってました。ノボさんのご友人は、チャイナ服で、気分は中国人になりきって、中国の歌を歌ってらっしゃいました。シラチャーでは見かけないタイプの方で、まさにエンターテイナー。楽しいひと時はあっという間に過ぎ、深夜にホテルにたどり着きました。 ベトナム・ツアー② ベトナムに根付くものホテルに着いたのは、午前11時過ぎだったか。と、見覚えのある顔が入り口から顔を覗かせました。そう、同じ会社のベトナム拠点のタムさん。事前にベトナムに行くことを連絡すると、ハノイ市内観光のガイドをかって出てくれたのです。彼らの会社があるハイフォンは、ハノイから2時間くらい海側に向かったところにあるのですが、この日のためにわざわざ来てくれたのです。と、でっかい花束でお出迎え!ホテルの人も笑ってるよ~こんなお出迎えは初めてです!チェックインは午後2時だったので、とりあえずかばんを預け、ノボさんとは一旦離れて、タムさんに案内してもらうことに。市内は慣れていないという田舎モンのタムさん(失礼)とタクシーに乗り、まずはランチを、とベトナム料理の店に向かいました。うちの会社のベトナム拠点が創業したのは2005年暮れごろで、当時からお互い連絡窓口としてメールや電話では連絡していましたが、こちらも今回が初めてのご対面。でも、お互いある程度英語が話せるので、話は弾みました。外国人も訪れるというベトナム料理のレストラン“QUAN COM PHO”というお店も、門構えはやはり狭いのですが、奥行きは結構あり、さらに1階から4階まで席が用意されています。ホテルでも思ったのですが、スタッフは皆フレンドリーで、どこが共産主義なんだ?と逆に戸惑うくらいでした。多少気が利かないのはタイも同じだし、大して気になりませんでした。 タムさんお勧めの典型的ベトナム料理は、どれも美味しかった!決してまずいわけじゃないんですが、薄めの味付けですね、やっぱり。ただ、ハーブというか香草とか結構使ってて、香ばしいものばかりでした。 お腹がいっぱいになったところで、いざ観光へ!とりあえず軍事博物館に向かいました。博物館の前でタクシーを降りると、前の公園に、ベトナム人とは違う誰かの銅像が。聞くと、「レーニンだよ」ははあ~やっぱり共産主義なのですな。博物館は、ベトナム人はもちろん無料、外国人料金+カメラ撮影料金を払って入場しました。っていっても合計で40バーツくらい?館内は、飛行機やミサイルの展示、身の毛がよだつ写真もあり、1975年に終わったばかりのベトナム戦争は、人々にとっていまだに近しいものなんだと感じました。が、説明はほぼ全部ベトナム語。ツアーガイドがところどころで立ち止まって説明している姿を見かけましたが、ベトナム語の次にフランス語の説明しかない標示は、全く分かりませ~ん。でも、学校の社会科で習ってきたいろんな話をしてくれたり、ホーチミン先生の言葉を訳してくれたりと、ガイド・タムさん大活躍です。それにしてもこの展示、ハノイならではなのか、ホーチミンでは違った説明になってしまうのか、それとも全国的に統一されているのか、とふと疑問に思いました。どなたかご存知の方いますか? 軍事博物館に隣接する歴史博物館にも入場しました。1000年以上も前からの歴代王朝、チンギス・ハーンの侵攻、フランスとの戦い、ベトナム戦争に関する展示や説明が並んでいました。フランスを破ったディエン・ビエン・フーの戦いなどは特に詳しく展示されていました。 軍事・歴史博物館のどこにでもあったのが、ホーチミン先生のお言葉や業績。ホーチミンは、我々が知っている以上に、ベトナム人の心に今も生きている、国の偉大なヒーローなんだと改めて感じました。 博物館を出てからは、市内のデパートでお土産のコーヒーや菓子類を見たり、「ハノイっ子みたいにアイスクリームを歩きながら食べたい」というタムさんと一緒にアイスクリームを舐めながらデパートを散歩しました。ってか、アイス溶けて垂れてくるんですけど・・・ その後は、ハイフォンまで帰るタムさんをホテルで見送り、次のプログラムに備えてチェックインしました。 ベトナム・ツアー① ハノイ到着7月4日土曜日、午前4時起床で、前夜から準備していた荷物を持って空港に向かいました。かなり眠く、車中で寝ようと思ったんですが、興奮して寝られません。そう、今日からベトナム! 空港に着いてチェックインも難なく済ませ、搭乗案内もほぼ時間通りでした。が、座席に座ってからが長い…どうやら遅れてきた人がいたようで…うちの会社みたいに5連休の会社が多いんでしょうか、タイ人のツアーがわんさか乗ってきます。タイ人ツアー以外は日本人・台湾人・韓国人のビジネスマン風、土曜日なのにネクタイまで締めて、ご苦労様(笑)アジアツアーでベトナムに向かう白人もかなり見かけました。ベトナム人もちらほら。出稼ぎベトナム人が帰郷、みたいなイメージのラフな服装がほとんどでした。ベトナム人父と息子らしき二人組がいたんですが、父親は午前6時すでに酔っていて(というか前夜から酔い続けてたのか)、息子に話しかけるというよりは、でっかい声で独りごっつ。というか怒鳴っていました。 離陸し、間食がサーブされ、片付けられるとあっという間に着陸のサイン。一時間半はあっという間でした。タイ国内旅行よりずっと近いや~ん!高度を下げる飛行機は田んぼの中に突っ込んでいきます。そしてノイバイ空港には、結局予定より20分ほど遅れて到着しました。 ベトナム=共産主義というイメージがこびりついていて、そんな国のお役人さん達はいったいどんななんだろうと恐る恐る飛行機を降りましたが、意外にフツー。お役人さんの制服は、制服フェチにはたまりません(笑)荷物が出てくるのが多少遅かったんですが、昔のドンムアン空港も結構混雑していて遅かったことを考えると想定内でしょう。 そして出口へ。真っ赤なシャツを着てくるというマイミクのノボさんの姿が見えたときは、さすがに緊張がほぐれました。2年以上もメールなどで連絡をしていたのですが、お会いするのは今回が初めて。ちょいとドキドキ。でもメールやブログでお見かけしていた通りの気さくな方で、旅が楽しくなること請け合い!な予感。 車に乗って気が付きました。ハンドルは左、みんな左を走っています。タイよりもはるかに田んぼだらけの世界。そしてバイクの洪水。すごいです。やはりバイクが主流なんですね。紅河にかかる橋を渡るとハノイ市内に入りました。バイクはますます増えてきて、しかも右から左から、おまいら交通規則ってモン知ってるんかい!みたいな抜かし方。はっきり言って怖い・・・市の中心部に入ると、バイク+自転車が右往左往、車を怖いとはちっとも思ってない様子。そして車はクラクションでバイクを追い散らしてるって感じ(笑)これがベトナムなのか・・・ノボさんのドライバーは、ノボさんの教育のおかげで(笑)クラクションは一切使わず、パッシングで追い散らしていました。宿泊ホテルは、オールドクオーターと呼ばれる旧市街にあるんですが、旧市街の町並みは狭い道路に人とモノがいっぱいで、その中を車はクラクションを鳴らしまくりながら進んでいきます。珍しくて町並みを眺めていると、ホテルに到着。え?ここですか?ってか、ホテルだけじゃなく、お店も家も、門構えが超狭い。ノボさん曰く「ウナギの寝床」まさにその通りです。とりあえず、ホテル確保! |
|
|